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【タイ生活】小学生のタイ息子と日本父

 娘の話を書いたついでに息子の話も書いておこうかな。息子はちょうどライター専業になった2011年に生まれている。ご存知のように東日本大震災があり、タイでは大洪水が発生した年である。

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 日本でも同じなのかはわからないけれど、タイでは一度帝王切開で出産すると、以降も帝王切開になるのだとか。それでこのときも帝王切開だった。娘はバンコク中心地の老舗総合病院だったが、息子は自宅近くの病院だ。

 郊外ではあるもののかなり近代的な病院で、病室なんかは娘のときとは全然違ってきれいだった。ただ、寒かったことは憶えている。タイの商業施設は異様なまでにエアコンが効いているが、病院までここまで冷やすことはなかろうに。

 娘は5歳だったので、義母や義妹が来て娘を面倒見てくれ、ボクが病院に泊まって妻の面倒を見ていた。出産当日に早めに病院に行き、手術室に入っていくところを娘とボクで見送りたかったが、そう伝えているのに田舎の人だからルーズで、義母たちは妻が手術室に入ってだいぶしてからやって来た。ビデオ撮影も義妹たちに頼んでいたのに。

 そして小一時間が経って、保育器に入れられた赤ん坊が出てきた。引いてきたのは警備員みたいなおじさんだ。「この子はうちの子か」と訊くと、わからないという。でも、覗き込んですぐにわかった。うちの子だ。娘が生まれたばかりのときとほとんど同じ顔だったからだ。

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 この画像はそれぞれ6ヶ月くらいのときにパスポート用に撮ったものだ。左が娘で、右が息子だ。タイのパスポートはパスポートセンターで職員がその場でデジカメ撮影してくれるが、日本大使館で作る場合は写真を持参しないといけない。だから、このように撮った。親から見るとほぼ同じ顔だと言えるレベルだ。

 娘は当然ながら初めての弟に戸惑いがあったと思う。とはいえ、娘は幼稚園入園時に、ほかの子どもたちは初めて母親と引き離されることに泣きわめくのが大半だったが、ボクと妻に対し「早く帰って」と言い放った。だから、急に弟ができて赤ちゃん返りとかそういうことにならないかと、ボクはできるだけ娘に注意を払うようにしていたが、杞憂に終わった。5歳も離れていたから、そんな年頃ではなかったというのもあるかもしれない。

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 話がちょっと逸れるが、この画像のように子どもをきっちりタオルで巻くのがボクは好きだった。生まれたばかりのときはこう窮屈にすることで母胎にいるときのような感覚になって赤ん坊は安心するのだとか。

 デパートとかで買いものをしたときに包装紙でラッピングしているのを見るのが子どものころ、ボクは好きだった。家に帰りその包装紙で箱を包んでみたり。それとほぼ同じ感覚で、毎日どころか毎時間でも包装息子が緩んでいようものなら、ボクは何度でも巻いて巻いて巻きまくった。

 娘は弟に対して、我々が心配していたほどの戸惑いはなかったようだが、むしろ自身でも意外なほど戸惑っていたのはボクだった。前回も書いたように、お腹にいるときは動いているのが目に見えているのにあまり実感がなく。そして、性別はずっと前からわかっていたものの、いざ男の子が生まれてくると、どう接していいのかわからなかった。

 5年間娘と遊んできたボクが、どう男の子に接するのか。妻の姉弟もみな子どもがいなかったので、男の子との接し方がよくわからない。抱っこしまくってもいいのだろうか、とか。正直、ある程度大きくなるまで接し方がわからなかった。

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 ちゃんとした病院では出産入院パッケージに子どもの入浴テクニックのレッスンが組まれている。娘のときは会社員だったので、昼間はいなかったから受けていないが、息子のときはほぼ無職だったので一緒にレッスンを受けた。妻は受ける必要はないのだけれども。

 では、この画像は誰が撮ったのかという話になるが、それはボクだ。受けるべきボクが撮っているというのには理由があった。それは、そもそもボクは子どもを入浴させる気がなかったからだ。

 育児には参加している。食事やミルクを口に運んだり、おむつも気がついたらちゃんと交換する。幸い、うちの子たちは夜泣きがなかったので滅多になかったが、夜中にぐずれば、ボクが抱っこして1時間でも2時間でもあやした。

 イクメンという言葉が一時期流行っていたが、ボクはこの言葉は嫌いだ。自分の子の育児は当然のことだ。それにイクメンという言葉は女性が育児の主体であることに変わりがないことを表しているに過ぎない。ボクが育児に参加することは当然であると思っていた。娘のときにボクも妻も頼るのは互いのふたりだけで、やるしかなかったのだから、息子もその延長だった。

 それでも入浴だけはしなかったのは、娘と家に初めて戻った日、ボクは娘を風呂に入れようとしたことがきっかけだ。育児書は読んでいたし、手が大きい男性の方が耳を塞ぎやすくてちょうどいいのだと書かれていた。ところが、ボクの慣れない手つきを見た妻が怒鳴り散らしてきた。危なっかしいと。そりゃあ初めてですもん、仕方ないじゃんか。でも、その怒声にボクは嫌になって、絶対に風呂は入れないと決めた。

 あれだけ顔が似ていると、どうしても娘と息子が同じような性格だと思い込んでしまう。ところが実際には全然違っていた。まず、単純に男女の違いか。娘は赤ん坊のころはほとんど声を発しなかった。基本、寝たら朝まで起きないので、たまに「死んでいるのでは?」と不安になって、夜中に何度も呼吸を確認したほどだ。

 この呼吸確認は大袈裟かというとそういうわけでもなくて、まだ小さいときに日本に娘を連れて行った際、昼寝をさせてくれていたボクの実母が、やっぱり娘の呼吸を確認していた。それくらい静かなのだ。

 しかし、息子は常時声を出していた。インドのタクシーが常にクラクションを鳴らしているようなレベルだ。食べているときと寝ているとき以外は声を出し続けていた。でも、寝つきはよくて、やっぱり朝まで起きないので、ボクの呼吸確認はふたりが生まれてからそれぞれ1年以上続いたものだ。

 それから、動く動く。娘も元気だと思ったが、息子と比べるとおとなしい方だ。だから、ケガの確率が息子は異常に高かった。息子の流血姿を何度見たことか。

 一方、これだけ活発だったわりには、性格は息子の方が温厚だ。引っ込み思案で人見知り。息子が商業施設で行方不明になったことは一度もないが、娘は何度かある。ちょっと目を離すとおもしろいものについて行ってしまうのだ。人見知りもしないので、目が離せない。息子は逆にちゃんと親のそばにいてくれるので助かる。

 今回は別にタイ人だから日本人だからというわけではなく。単に世界共通の娘と息子あるある話になってしまったな。

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