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タイの懐メロ【タイ・ポップス】

 タイ文字を憶えたのはタイ・ポップスの歌詞カードからだった。当時はCDとカセットテープでリリースされていて、どちらかというとみんなカセットを買っていた。ボクもそのひとりで、タイに来ると大量にタイ・ポップスのテープを買って帰ったものだ。

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 一番最初のボクとタイ・ポップスとの出会いは1998年のカオサン通りだった。しかも、音楽とは関係ない雑誌だ。元々ボクは死体を見るためにタイに来た。その際、当時は全盛だったクライムマガジン「アチヤーガム」や「191」を雑誌スタンドで買っていた。いわゆる死体雑誌で、タイ国内の殺人事件の写真がこれでもかと掲載されている雑誌だ。

 ちなみにその雑誌店は少なくとも数年前まではあった。当時はかなりの老婆がやっていて、雑誌は店先に山積みな上、その上にネコが寝ていてどかしながら雑誌を探すような店だった。

 そのクライムマガジン初購入時、どっちの雑誌かは忘れたが、ヌック・スティダーが表紙を飾っていた。

 チャイナ風の緑色の服を着て、足首に「辰」という刺青があった。それが印象に残っていて、数日後にサイアムセンターのタワーレコードに行ったときに同じ服、同じ顔をカセットのケースに見かけ、歌手だったのかと知った。その時点ではタイ語は読めないので名前も知らなかったし、テープを再生するものを持っていなかったので、ただ購入して、日本で聴いた。そのときの衝撃たるや。

 なぜなら、音程が絶妙にズレている気がするのである。段々不安になってくる歌声だ。上記動画がまさにそのときに買ったテープのうちの1曲で、やっぱり緑の服を着ている。

 こんなに歌が下手なのに雑誌の表紙になるくらいに有名なのか? タイ的にはうまいのかもしれないと思い、これを書きながら妻にヌックの歌をどう思うかと訊いたら、うまくない、と言っていた。だよね。

 ところが、聴いているうちに味が出てきてしまい、なんか好きになる。ヌックのスターの実力なのか。それとも、これこそがタイ・ポップスの醍醐味であるというのか。

 とにかく、タイ・ポップスの世界に衝撃を持って踏み入れた瞬間だった。このダサ・かっこいいにボクはハマっていくのだ。

 そのとき、「Teen8GradeA」というグループのカセットも買っていた。なんかいっぱいいるし、若い感じでいいなと。特にこの中の紺色のニット帽を被ったジェニファーにハマった。かわいいではないか。

 このカセットも日本に戻ってから聴いたのだが、そのときにボクは「ジェニファーに会ったときに話せるようになっておこう」というしょうもないモチベーションでタイ語を勉強し始めたのだった。

 ちなみにだが、この子は名前からもわかるようにハーフで、日常生活ではむしろ英語を使うようだ。タイ語を学んだ意味がまったくなかったことはかなりの年数が経ってから知ることになった。しかも、一度チャトチャックで本物を見かけたが、全然話しかけられなかった。その後、トンロー通りソイ18の向かい辺りでジェニファーはパスタ店を開いていたが、結局一度も行っていない。今、彼女は子育てのためにアメリカで暮らしているみたいだ。

 ヌックが表紙のクライムマガジンを買ったころ、カオサンの道の真ん中で「ラバヌーン」が撮影をしていた。もちろんその時点でバンドの名前は知らない。いや、タイ人だって知らなかった。なぜなら、この曲が彼らのデビュー曲だからだ。

 この上記の冒頭15秒前後にカオサン通りの真ん中に座っているシーンがあるが、ボクはその目の前の宿に泊まっていて、ある日外に出たら彼らが撮影していた。そのときの光景だけよく憶えている。

 タイ・ポップスは1990年代後半、特に98年から2000年にかけてのダサ・かっこいいへの暴走が半端ない印象だ。

 この「ラップター」が歌う「グレンジャイ」はおそらく98年の曲だと思う。なんというか、素晴らしい。ちなみに、1999年にタイ料理店でバイトしていたときに女先輩に仕込まれ、この曲を普通に踊り歌えるようになっていた。みんなで新宿のタイ・カラオケに行き、朝まで歌い踊った。

 たまにこの曲がタニヤなどのカラオケにある。そんなときにサビの部分だけ立ち上がって踊ると嬢たちが爆笑する。このときほど太っている自分を誇らしく思うことはない。動き出すデブは絵になるのだ。

 1999年ごろにはこのニコルのアルバムが大ヒットしていた。この「ブッサバー」という曲のニャアニャア言うあたり、あと「マイチャイ・マイチャイ」という曲はタイ人のツボにも突き刺さって大ヒットしていた。

 ちなみに、当時はタイ・ポップスはグランミー社とRS社の2大双璧と、あとはたとえばベーカーリー・ミュージック社という小さなレーベルがあった。グランミーは大人でも聴くような王道系、RSはアイドル、ベーカーリーはジョイボーイのラップだとか、ささやきながら歌う普通の女の子たちといった、当時にしてはかなり攻めていたレーベルである。

 たぶんニコルと同じ時代に、このモスの「ハロー」もヒットしていた。モスはボクが初めてタイに行ったころのトップアイドルで、ビーチボーイズあたりの竹野内豊を観るとボクはモスを思い出してしまう。

 2000年ごろ、ローカルディスコで大ヒットしていたのが、このRSから出ているビタミンAという歌手の「ターディヨウ」だ。コミカルな曲調とダンスの振り付けの絶妙さ、そして歌詞内容がちょっとエロを想像させることでヒットしていた。ひと晩で何度もかかり、みんなサビの部分でこの踊りをしていた。

 タイ語学校に通っていた2000年に、グランミーの無料コンサートがディンデーンであり、観に行った。そこに「ZAZA」が来ていた。上記のサムネイルにもなっているピムが超絶美しく、正直、ボクの人生の中で彼女を超える美しい女性を見たことが今のところない。ジェニファーを余裕で超えていた。だからこそ、パスタ店に行かなかったというのもある。

 2002年とか2003年くらいなってくると、ダサ・かっこいいから脱却し、普通にかっこいい曲が人気になり始める。そのきっかけになったような存在のひとりにパーミーがいる。この独特な雰囲気は当時の若者たちを釘付けにするほどインパクトがあった。これまでのタイ・ポップスとは明らかに違った印象だった。

 あくまでもボクの中でだが、そのパーミーの流れをダイレクトに引き継いだのがこのナムチャーかなと思う。かわいくて、歌がうまくて、でも動きが変、みたいな感じ。ただ、これ以外の曲で有名なのがあるのかは知らないけれど。

 タイ文字を勉強し始めたときにカセットテープについている歌詞カードを使って勉強したが、まあその文字の大きさたるや。ものすごく小さくてかなり勉強するのが大変だった。タイ文字は子音の上下左右に母音記号や声調記号がつくので、自然、フォントが小さくなりやすい。虫眼鏡が必要なレベルで小さかった。

 そんな独学の中でボク自身がボクに出した課題に、なにか曲を1曲、ヒヤリングで聴き取り、文字起こしするというものだ。まあ、速い曲は無理なので、選んだのがこの「イングライ・インジェップ」だった。オリジナルはたぶんこの「インカ」だが、実際に聴いたのは別のバンドのカバーだ。むちゃくちゃ有名なバンドなんだが、名前を忘れた。

 しかし、そんなボクは今はタイ・ポップスを聴いていない。ダサ・かっこいいのが好きだったのだ。また、熱狂的に好きだったバンドの「ローソー」にがっかりしたという事情もある。

 ローソーの話は追々紹介したい。YouTubeにあるグランミーやRSの公式チャンネルに昔の曲が結構あるので、なんか久しぶりに昔のタイ・ポップスにハマってみようと思っている。それらを思い出とか、当時のこととか、歌詞やタイ語についても解説していきたい。

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