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チャトチャック・ウィークエンドマーケットの歴史

 バンコクの人気ショッピングスポットでトップクラスの支持率になるのは「チャトチャック・ウィークエンドマーケット」(以下チャトチャック)だ。チャトチャックは正確には「ジャトゥジャック」という発音になるが、ここではカタカナ発音に合わせている。この市場のショッピングポイントはネット上で検索できるので、ここではチャトチャックの歴史を紐解いてみた。

 そんなチャトチャックはタイ政府観光庁のホームページでは「週末しか開催されないバンコク最大の公設市場。約10万平方メートルの広大な面積を誇る敷地」と紹介される。開催は基本的には週末のみで、それでも土日に20万~30万人も訪れる。この数字は「おそらく世界最大」と言われている。

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 チャトチャックは原則的に27セクションに区画分けされ、広大ではあるもののほぼ「セクション=商品ジャンル」のため目的のものをみつけやすい。カンボジア国境や南部のマレーシア国境近辺に古着などの市場があって、チャトチャックの商店の仕入れ先になるくらい安いのだが、距離や探す手間暇を考えるとチャトチャックの方が有利で、今でも日本人を始め世界中からバイヤーが集まる。

 チャトチャックはタイ語ではタラート・ナットと呼ばれるジャンルに入る。タラートは市場で、タラート・ナットは常設ではなく、日時などが限定されている市場だ。

 タイのタラート・ナットの歴史は第2次世界大戦終戦後から始まっている。立憲革命時代から第2次世界大戦を経て1960年代後半まで、タイの政治に大きな影響力を持っていたプレーク・ピブーンソンクラーム元帥が1948年に各県でタラート・ナットを作る計画を打ち出したことがきっかけだ。

 ちなみに、ピブーンソンクラーム元帥は戦時中、現在のタイの国民食にもなっている米粉麺クイッティアオを広めたり、タイの伝統舞踊など外国人が現在、タイの「伝統」と認識している数多くのジャンルを広めることに尽力した人物でもある。元帥はその後タイを追われ、カンボジアを経由して東京で亡命生活を送り、神奈川県相模原で亡くなっている。

 チャトチャックは今現在、チャトチャック公園にあるからそう呼ばれるのであって、元々はカオサン通り近くにあるサナームルアン(王宮前広場)にあった。バンコクのタラート・ナットとしてこの場所に開設されたのだ。

 その後近隣を転々とし、1958年に再びサナームルアンに移転した。しかし、バンコクの近代化で近隣の渋滞悪化が起こったり、サナームルアンで様々な国家的イベントの計画があって、1982年にチャトチャック公園に移設されることになる。そして、1987年に現在の「チャトチャック・ウィークエンドマーケット」と正式名称を変更した。

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 チャトチャックは週末だけで20万人以上が訪れると言われるので、店を出せば必ず儲かる・・・・・・と思うだろうが、そうは問屋が卸さない。タイ人は実に頭がよく、現実的でシビアなので、チャトチャックの裏側は人間の思惑と欲望の坩堝になっている。

 まず、チャトチャックの家賃だ。チャトチャックに限らないが、タイでは個人商店や個人事業主は税金を払っていなかったり、いい加減に管理しているので、正確な家賃を公にしたがらない。そして、そのことを店舗の権利保有者が逆利用している。大元の大家たちは自身のネットワークや嗅覚から権利をいち早く取得した。彼らは最初から自分で商売をする気はなく、又貸しを目的にしている。

 チャトチャックを管理・運営しているのは、チャトチャック公園の土地を所有している「タイ国有鉄道」(以下タイ国鉄)だ。正確な年度は不明だが、タイ国鉄は原則としてチャトチャックの店舗の又貸しを禁止した。実際にチャトチャックで店舗経営をする店子たちのほとんどが孫に当たる。だから、家賃が異様なまでに高騰していた。それを打開するためだったと考えられる。

 というのは、タイの場合、ほとんどの商業施設で又貸しが普通に行われる。大家はそもそも店を出す気がないので、市場としては契約して店子が入っているのに開業しても店が一部しかオープンしないということが多々ある。そうなれば客も来ないので、商業施設の所有者が損をすることになる。タイ国鉄はそういったチャトチャックの問題点にメスを入れたのだ。

 一方、実際に店舗を営業している店子にとって一番の厄介は、大家よりも、さらに又貸しをする第2大家だった。大家から店を借り、さらに高額の家賃で店子に貸しつける存在だ。

 店子にとっては少なくとも第2大家が排除されるので喜ばしいことに見えたが、大家も商売に関しては上手だ。又貸しを継続するため、第2大家を排除して現行の店子を新店子として契約するのだが、その際に自分の親族や友人を据えた。

 つまり、大家は親族などに貸し、その親族が友人と一緒に商売をしている、という体裁にしたのだ。要するに、タイ国鉄のメスは入れた「つもり」なだけで、ただただ新しい第2大家を作っただけだった。むしろ、大家には都合がいいことになってしまったわけだ。

 税金絡みで家賃などを公にしたくない店子がここで声を上げることは自分の首を絞めることにも繋がる。結局、強いのは大家で、店子はいつでも出て行ってくれてかまわない存在なのだ。

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 2014年にタイ国鉄はチャトチャックの店子(大家)と5年契約を更新した。2019年に更新されているはずだが、その後の家賃は不明だ。2014年時点では店舗セクションは3157バーツ、表通りの屋台のような場所などは1800バーツと1900バーツだった。これが又々貸しになって、平均的には店子の家賃は2~6万バーツになる。

 それでも店子にはまだメリットがある。これだけ客が市場に来るので、1日で3万バーツ以上売り上げることもあるという。だから、儲け方によってはわりの悪い商売とも言えない。

 しかし、先にも述べたように、ここに店を出せば必ずしも売れるとは限らない。チャトチャックの不人気セクションを覗くと、シャッターが閉まり、電話番号が書いてある。これは大家が直接募集していることもあるし、店子がギブアップして、権利を譲ろうとしているケースがある。店子には本来そんな権利はないが、損失をなんとか取り戻そうと必死なのだ。

 人気セクションであれば5年契約の権利譲渡金が100万バーツにもなる。そう考えれば、売れているセクションの権利を持っている大家は笑いが止まらないだろう。中には笑いすぎて、人格が変わってしまうケースもあるようだ。商売したい店子はいくらでもいるので、強烈な貸し手市場になる。あるショップの愚痴を聞いたことがある。

「突然やってきて今すぐ家賃を払わないと出て行けと言い出すんですよ。数万バーツも店には置いていないので、お客さんをほったらかしにしてATMに走らないといけない。たまに事前に電話してくることもありますが、時間通りに来ないことがほとんどです。そんなときは大金を持っているし、いつ来るかわからないので用事があっても店を離れられないし、本当に迷惑」

 チャトチャックの店子が抱える問題は不良大家だけではない。人気店だと従業員や商売敵によるコピーや窃盗もある。権利関係については特にタイ人は考え方が甘いことと、店側もいちいち権利(著作権的なもの)を登記しているとわりに合わないので、デザイナー兼経営者らはいろいろと苦労する。

 チャトチャックは明るいように見えて、その裏側はドロドロの人間模様が描かれているのだ。

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