日本にあってタイにないもの【川編】
タイと日本は国としても、文化を見ても似ている、あるいは関係していることがよくある。泡盛の原型はタイのラオカオという酒だとも言われるし、江戸前寿司はなれ寿司が原型とされるが、そのなれ寿司はタイなどにあるプラー・ソムなどの発酵食品が起源だという説が有力視されている。
このように似た文化を持つタイと日本だが、当然ながらまったく違うものでもある。タイにあって、日本にないもの。逆に日本にあって、タイにないものもある。
ボクの中でひとつ、大きな存在であるのが、川(河)である。どこの国も文化や文明は川沿いで発生し、発展した。そんな川も、タイと日本では大きく違う点がある。
タイを代表する川と言えばチャオプラヤ河だ。ボクが子どものころは社会の授業でメナム川などと習った気がする。メナムは母なる水という意味で、タイ語ではこれを川あるいは河とする。だから、メナム川は川・川という意味になってしまう。それがいつしか、ちゃんとチャオプラヤ河と紹介されるようになった。
そんなチャオプラヤ河は今も川縁に住む人々にとってはただ眺めるものではなく、生活に即した川だ。移動のための船が行き交い、漁師が魚を捕り、それから住民の洗濯などにも使われる。バンコク辺りだと川幅が広く、一見穏やかな川に見えるが、水の流れは案外に速い。
そんなチャオプラヤ河の水は、イメージとしてはこんな感じである。
茶色く濁った水が一般的なチャオプラヤの色といった印象がある。ただ、これは雨季などの水量が多いときの色合いで、乾季、あるいは日によっては土色ではないときもある。
それでも澄んだ色はしていない。透明度は断然低いと言える。とはいえ、タイの川というのは概ねこういったものだ。たとえば北部チェンマイを流れるピン川も似たような色合いをしている。
日本だと山の方に行けば清流というか、澄んだ水の川がどこにでもある。
ボクの中で一番好きなのは十和田湖である。十和田湖から奥入瀬渓流に流れ出る水門の辺りが水深が深いのに底まで透き通っている。それを上から眺めると、なんともいえないゾクゾクとする気持ちになる。美しさと怖さが混じったような不思議な感動だ。
栃木県の塩原も好きだ。子どものころに透き通った水が流れる川に面した温泉旅館に泊まったことを憶えている。2019年に日本に滞在したときに日光東照宮に行った。このときも流れる川に感動して、延々と上から川面を眺めていた。端から見たら、今にも入水自殺しそうな男に見えたことだろう。
こういう透き通った水は本当にワクワクする。日本なら「川」というと、むしろこういうところを思い浮かべるだろう。一方、タイは先のように土色の、濁った水が「川」である。
昔ならクレヨンや絵の具で水色、肌色なんて言ったものが、それが世界では共通するものではないということを痛感する。
とはいえ、タイに澄んだ水がないわけではない。ここではあくまでも淡水の話をしているので川や池の話になるが、地方に行けば澄んだ水がある場所もなくはない。
たとえば、ナコンナヨック県にはダムがあり、その足下にある川はある程度澄んでいる。バンコク人の避暑地的な場所としても人気がある。あと、ナコンラチャシマー県にもダムがあって澄んだ小川もあるし、森の中に行けばきれいな川も存在する。
南部の人気県ラノーン県は温泉が有名だが、川も澄んでいて美しい。
あとは北部の山に行けばきれいな川が散見される。チェンマイ郊外のエレファントキャンプなんかもきれいな水だし、この画像のような、チェンマイ県チェンダオ郡の寺院にある池はこんなにも澄んでいてオオナマズが泳いでいる姿が見える。
こう考えるとタイにも澄んでいる川はたくさんあるが、ただ、バンコクから遠いこと、その数が日本より少ないというのが残念である。タイも自然は豊かな国だが、川に関してはボクは日本の方が好きだ。
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