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経歴とか経験は盛っていった方がいい

 たぶん日本人だけが経歴とか経験に対して1ミリも盛ることを許さない国民性なのではないかと思う。タイ人はちょっとでもやったことがあればそれを経験として豪語する。このあたりが、日本だと行き詰ってしまうことがよくあり、タイはなんとかやっていける寛容さというか、気楽さがあることに繋がるのかなと思う。

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 画像は2010年のものだ。このころはまだボクはギリ会社員であった。そのころは人が入ってもすぐに辞めていってしまうので、常に新しい現地採用者を面接しているような状況だった。ボクとしてはやる気があれば別になんだってよくて、重視していたのはボクと気が合うかくらいで。

 でも、最終決定権は上にあるので、面接が終わったら報告して。ところが、そこそこに経歴もよさそうな人はどんどん跳ねられて、採用されるのはボクが面接していない、経歴もボクが面接していた人たちよりも会社の業務とはずっと遠いところで働いていた人たちだ。

 なぜ採用に至ったのかは知らん。ただ、思うに、結果的に要領が悪いヤツばかりだったなということだ。結局すぐに辞めてしまうし。まじめと言えば聞こえがよくて、単に要領なのかなと感じた。経歴もまじめに書かずに、とりあえず盛ってきて、経験者だってことにすればいいのに、なんて思ったりして。それだけの立ち回りができるなら、未経験だとしたって入社してからもどうにかやっていけたのではないかな。

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 タイ人の経歴の盛り方は日本人よりすごいと思う。物は言いようで、とにかく入社してしまえばこっちのものって感じのような気がする。たとえば飲食に1日しかいなかったとしても、前職は飲食関係って言うだろう。

 ところが、彼らにしてみればそういうのは盛っているのでもなんでもなくて、本当にそう思っているという点だ。わかりやすいところでいうと、英語のできる・できないが著しい。

 日本人の場合はビジネス会話レベルでないと「英語ができる」とは言わないでしょう。ボクだって英語ができるかと問われたら、日常会話くらいとしか言わない。ちなみに、タイ語はビジネスレベルだと自分で思っているので、タイ語はできると胸を張って言える。

 タイ人で一番極端なケースではハローが言えるだけで「自分、英語できます」なんて言う。日本人クラブなんか入り口で女の子を選ぶときにママさんとかが「日本語できる人、手を挙げて」って、タイ語も英語もできない客のために訊くけども、「日本語できる人、手を挙げて」って日本語しか知らない女の子も手を挙げるから。そういうもんなんだな。

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 2010年、まだバンコクのレスキューに所属していたときにドイツ人のカメラマンが取材に来た。隊長が「英語はできるか」って訊いてきたから、面倒なのもあって、できないと答えた。そのあと、別のタイ人の隊員ができるっていうので、通訳として立った。でも、全然できない。あまりにもできなさ過ぎて助け舟を出してたら、結局ボクが通訳になってしまった。

 それよりもずっと以前にアソークのセンセーブ運河の橋で白人が事故を起こしたことがある。酔っぱらってバイクでタクシーのうしろに突っ込んでしまった。黙って我々に従って病院に行けばよかったのに、ゴネて救急車に乗ろうとしない。それで飲酒運転を疑われて、到着した警官に身体検査された。目の前で見てたら、白人の靴下から大麻が出てきてしまったわけ。大麻で酩酊してたのか酒のなのかはわからないけれど、彼には病院に行く選択肢がなくなった。

 タイ語ができないので、その場にいたレスキュー隊員たちが英語で説明していたのだけども、全然通じていなかった。ちなみに、ちょうど管轄の境界線の向こう側だったので、ボクはあまり出しゃばらずに見ていた。

 タイ語は単語が動詞であっても変化しないから、タイ人は英語の格変化がわりと苦手だ。格変化と所有格もめちゃくちゃになって記憶されているのか、myとyourをわかっていない人も多い。

 そのときは全然通じないのでらちが明かないからと、彼の携帯にあったタイ人に電話してもいいかとタイ人隊員らは訊きたい。でも、Your friendと言うべきところをMy friendと言っちゃう。アナタの友だちに電話していいですか、って隊員は言っているつもりなのだが、実際には「ワタシの友だちに電話していいですか」って訊いちゃっている。白人もポカンとしてた。

 でも思うに、こういうのでいいと思う。厳密に水準を設けて自分、あるいは他人の能力範囲を狭める必要ってあるのだろうか。彼らは最後まで、あるいは今現時点でも自分が英語はあまりできないとは夢にも思っていない。英語が話せると今だって豪語すると思う。

 つまるところ、履歴書に書く経歴や英語ができる・できないは、彼らにとっては盛っているわけでもないってことだ。盛るってことはウソだからよくないけれど、彼らはウソを吐いているわけではなくて、あくまでも自信を持って自分の経歴や能力を語っているに過ぎない。

 それでいいのではないかな。それで自分が幸せになれるのだから。日本人の英語ができる・できない、経歴や経験がある・ないは結局のところ、持っている人のマウント行為でしかないと思う。できることは確かに偉いが、できないことが悪いわけでもない。自分でできると思っているならそれでよくて、もしその場を乗り切れなかったらそのときにブラッシュアップすればいい。って、思う。

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