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バックパッカーの聖地カオサン通りの今

 6月10日18時、カオサン通りに久しぶりに行った。4月の旧正月ソンクラーンに行われる水かけ祭が中止になり、バンコクで屈指の人気スポットだったが閑散としてしまった。一方で、この隙にと言わんばかりに、この4月中、カオサン通りは道路の補修工事が行われた。だいぶきれいになったのだが、問題はこの新型ウィルスの蔓延による旅行者激減で、カオサン通りが完全に死んでいる状態になっていたことだ。カオサンは再起できるのだろうか。

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 カオサン通りは低予算旅行者の聖地、ある意味では巣窟とも言われたような安宿街だ。ボクが初めて来たのが1998年1月下旬だった。当時はカオサンをうろついているのはここで働くタイ人以外は外国人ばかりで、日本人もそれほど多くなかった。

 確かに当時は宿が安かった。エアコンつきのホテル並みの部屋のゲストハウスで500バーツ前後だった。当時のレートでは1200円に届かない程度だったはずだ。エアコンなし、トイレ・シャワー共用のシングルルームで120バーツくらい、つまり290円くらい。ドミトリー(相部屋)で50バーツだから120円で泊まることができた。

 しかし、2000年に入ると日本人を始め、世界中からバックパッカーだけでなく普通の旅行者も集まりだし、カオサン通り内にコンビニやファストフードができ、大きなホテルまで登場した。タイのメディアにも外国人が集まるお洒落な場所として紹介され、タイ人の若者のナイトスポットに変貌し、夜間は騒々しい場所になってしまった。

 そうして、90年代後半と比べて相当賑やかになったものの、徐々に安宿街としての機能が低下し始めてしまう。少なくとも日本人旅行者はネットの発達が進むにつれ、カオサンに集まらなくなった。ネットが便利になるにつれ、カオサンに来る意味がなくなってきたからだ。

 カオサンはかつては安く航空券を入手できる場所でもあった。しかし、今やネットで早割を使えば安く航空券を買える。また、旅行情報もネットで手に入るし、スクムビットなど電車路線沿線にも安宿が登場した。

 なにより、カオサンがあるバンコク旧市街エリアは交通の便が悪い。都心とカオサンをタクシーで往復するとしよう。その料金を毎日払うことを考えると、都心に泊まった方がコスパがいい。

 ボクが初めて来たころから2000年代前半はかつてのテレビ番組「電波少年」のヒッチハイクによる大陸横断などが人気だったこともあって、日本人バックパッカーばかりのエリアだったカオサンも、次第に安宿街の雰囲気がなくなってきた。欧米人のバックパッカーも以前と比べたらだいぶ減ったように見受けられる。

 しかし、6月10日の夕方に訪れた際は、もうそんな話どころの状況ではなかった。

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 上の画像はカオサンの西の端にあった警察署だ。建て替え工事なのか更地になっていた。うしろは警官の寮なので、単に建て替えなのだと思う。今は王宮前広場寄りの方に仮設の警察署が建っている。

 カオサン通りはかつては「旅人」のための場所だった。今のようにデジタルに一切依存していなくて、旅人ノートや口コミといった、アナログで旅の情報を収集する場所であったのだ。だから、バックパッカーはみんなここに集まってきたわけである。旅先を決めず、なんの予定もなく、ただ世界を放浪する人がほしい情報がここに集まってきた。

 中には上記のような、変な輩もいた。それがカオサンだった。

 しかし、時代が変わってしまった。前述の通り、ネットやスマホの発達でカオサンの情報網は不要になった。航空券もここで買う意味が薄れた。宿もカオサンにする理由がなくなった。

 タイ人によくある傾向なのが、人気が出てもその理由などを分析しないので、その上にあぐらをかく。そして、いつの間にか時代が変化して、いつの間にか追いつこうにも手遅れとなり、いつの間にか廃れてしまう。カオサンも今そんな時期に入っているのではないか、と数年前からボクは感じていた。

 夜のスポットであるゴーゴーバーも、かつてはパッポンが大人気で、バーのほとんどがボッタクリを堂々としていた。ガイドブックでは安心できると書いている店でさえもだ。そして政治的なクーデターやデモの影響で、人気がソイ・カウボーイに移った。かつては場末ゴーゴーとさえ言われたエリアが大変貌した。しかし、天下を取っている今、今度はソイ・カウボーイにボッタクリ店が増えている。

 歴史は繰り返すというか、天狗になったタイ人の典型というか。カオサンの店も1万人や2万人の外国人に嫌われたって客はどんどん来るという傲慢な態度が滲み出ていて、いつかそのバブルが弾けるのではないかとボクは思っていたが、もう少し先にならないと結果はわからないものの、コロナ禍がそのきっかけとなったかもしれない。

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 このポルシェがそんなカオサン通りの栄枯盛衰の象徴のような気がしてならない。タイでポルシェは日本のおよそ3倍くらいの価格になる。カオサン・ビジネスはそれだけ儲かったのかもしれないが、今の状況を見ると、この車の維持さえ困難なのではないか。というのは、今回、カオサンを訪れたらコロナの影響で、9割9分の店が閉まっていた。コンビニさえも。

 通りには白人が数人いた。おそらく観光ビザが7月末まで無条件で自動延長されているので、国に帰らずのんびり過ごしている昔ながらのバックパッカーなのでしょう。とはいえ、さすがにたった数人の彼らのためだけに店を開けてはいられない。そのため、コンビニもファストフードもなにもかもが閉まっていた。

 一応営業していたのは、ドラッグストア、3軒くらいの土産物店、洗濯屋だ。あとは押し車の屋台が2軒くらい。これはカオサン通り内の話だ。外はコンビニやマッサージ店、飲食店が何軒か営業していた。寺の裏では今は違反となるアルコール販売をしている店もあり、繁盛していた。

 現状、タイ政府は10月ごろに外国人観光客を受け入れ始めようと検討している。しかし、今現在、タイで新規感染者はゼロだ。国内感染者がゼロで、外国から帰国したタイ人が日々、数人ほど感染が発覚しているようで、タイ国内はだいぶ落ち着いている。だからこそ、外国からの訪問者を怖れている。

 そうなると、10月に再開したとしてもなんらかしらの条件付きになると見られる。おそらく商用と医療ツーリズムが優先されるだろう。だとすれば、再開したところで外国人旅行者がタイに押し寄せることはしばらくない。そもそも、カオサン通りがメインターゲットにしていた低予算旅行者はそう簡単には戻ってこないと見た方がいい。

 まず、カオサン通りの店がやっていないのだから、ここに来たってつまらない。外国人観光客が来なければカオサンの店も開けられないというジレンマがそこに出てくる。

 なにより、先にも述べたように、カオサンは全盛期をとうに過ぎていたと言っていい。今回のコロナ禍は、表面張力でギリギリ保っていたコップを軽く弾いたに過ぎない気がする。

 安宿も情報も航空券もネットで押さえられる今、求められるのは利便性で、そうなるとBTSやMRTといった電車路線の沿線の宿になるのではないか。実際に各地にいい宿がすでに出てきている(現在営業しているかはわからないが)。

 カオサンがそれ以上のメリットを旅行者に与えてくれるなら人は戻るだろうが、かなり厳しい状況になるのは間違いない。

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 ボクが一時期泊まっていたママズゲストハウスもとっくに潰れてしまった。今回見上げてみるとまだ「売ります」の看板が掲げられていた。これが外し忘れでなければ、もうカオサンは投資にさえ向かない場所ということに違いない。

 ボクが初めて来たときに泊まった場所であり、カオサン通りにはたくさんの思い出がある。このまま終わってほしくないと思うが、全盛期から見てつまらなくなってきたカオサン通りにあぐらをかいてきた人たちに打開策があるのだろうか。ないだろうな。

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