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【タイ生活】年頃のタイ娘と日本父

 日本で結婚したことがないので、あくまでも見聞きしている中での話になるが、タイ人の女の子の方が、年頃の時期に父親に対する態度が優しい気がする。たぶんタイ社会における家族の在り方が違うからなのではないかとボクは見ている。

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 2006年12月に娘が生まれた。あの日のことは今でもよく憶えている。本当はもっと先に生まれるはずだったが、産婦人科の先生が数え間違いをしていて、数日前の検診時に「もう産んでおかないといけない」と言い出し、急遽この日に予約をして病院に向かった。寒くて、天気のいい日だった。月曜日だった。というのは、この前日がタイの祝日で、振替休日だったから憶えている。

 タイの場合は、子どもが生まれたときに発行される出生証明書に生まれた場所、時間、曜日までが記載されるので、それを見れば一目瞭然だ。今見返してみても、確かに娘は月曜日生まれである。タイの寺院には曜日ごとの仏像もあり、タイ人は生まれた曜日も憶えている。それくらい重要なのだ。

 また、産む時間も重要で、妻は叔母から「12月○日に産むなら○時がいい」と言われていた。名付けの本とか、時間の本があるし、それらは僧侶が書いたもので、もちろん、寺院に直接訊きに行ってもいい。叔母は寺院にわざわざ訊きに行ってくれたのだが、そもそもの日付が変わってしまい、

「それなら9時台よ!」

 ということになった。これ、たぶん叔母が勝手に言ったことだと思う。9はタイ語で「ガーウ」と読む。「歩む」の発音と同じなので、縁起がいい数字とされる。だから、「もう訊きに行けないから、9でいいんじゃない?」的な意見だったと思う。そして、妻はその時間帯に予約をした。

 妻はバンコクでよくある帝王切開を選択していた。渋滞の社会問題や、いろいろな考え方から、バンコクでは帝王切開で出産する人が多い。妻は「自然分娩は痛そうだから」という理由で帝王切開にしていた。切る方がのちのち痛い気がするのだが。

 すごいのはどの総合病院も出産パッケージがあり、スタンダードは自然分娩で2泊3日、帝王切開は3泊4日程度の宿泊パッケージしかない。実際にこれで退院するんだからすごいものだ。タイ女性が強いのはこのあたりにあるのかもしれないね。出産直前まで働き、数泊で出産し、早ければ1ヶ月くらいで職場復帰する。我が家はこのときが初めての出産だったので2泊くらい延泊した。妻の母は田舎にいて当てにならないし、ボクの両親だって日本にいるから頼ることができない。なんとか延泊で乗りきるしかなかった。

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 母親は妊娠したときから母になるが、父親はなかなか実感というものがない。お腹が大きくなってきても、そのお腹の中の子どもが動いているのが外から見えてもイマイチ実感がないというか。しかし、あの胎動というのはすごいね。触ってわかるものなのかと思っていたら、足なのか肘を子どもが動かすときにお腹がモコモコモコ~っと動くのが見えるのだから。

 でも、結局こうして初めて子どもを抱くまで、自分が父親になったという実感がなかった。それでも、こうして子どもが元気に生まれてきたことにボクは感動した。

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 そして、こうやって母親の身体に収まっていて、かつ初めて抱いたときはボクの肘くらいまでしかなかった小さな身体が、13年も経つと大きくなるわけで。今や娘は母親よりも背が高くなっている。

 こういってはなんだが、ボクの子ども時代の家庭環境はあまりいいものではなかった。いつも母はイライラしていたし、いい家庭ではなかった。親が子どもに嘘を吐き、無意味に暴力を振るわれる。驚くべきことは、両親はこれについて一切記憶がないことだ。人の記憶は都合のいいように変換される。だから、ボクはできるだけ不穏な雰囲気の家庭にならないようにと、それだけは努めている。

 とはいえ、夫婦というのは案外に脆く、家族どころか、夫婦そのものを続けていくということが日々綱渡りになるとは思いもしなかった。これは国際結婚だからなのかもしれない。そう考えると、互いの言語がままならない国際結婚カップルが長続きしないのもわかる気もする。

 何度か離婚の危機もあったし、壮絶な夫婦喧嘩もあった。娘にもそれを見られて泣かせてしまったこともあった。でも、なんとか、というか、なぜかボクはこうして十数年も妻と一緒にいたりする。人生ってわからないもので。

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 父親ってのは損なもので、どんなにがんばっても母親にはなかなか勝てない。これはタイや日本に限らず世界中の家庭がそんなものだと思う。でも、日本のやや年頃の女の子が父に対する態度は異常なレベルだと感じる。

 ネットで見ると、洗濯物も一緒にしたくないし、一緒の食卓で食事も嫌がるし、ましてや父親と出かけるなんてもってのほかという感じらしいじゃないか。タイでは考えられない。もちろん、タイでも年頃の子が父親と好んで歩くとは思わないが、そこまで嫌う風潮はタイにはあまりない。

 去年日本に滞在したときも、両親や姉、義兄、姪っ子たちと食事に行った。姪っ子たちは外国にいるしょうもない叔父に対してはわりと普通に話してくれるものの、かつてのように向こうから話しかけてくることはなくなっていた。また、食事中に見ていたら、義兄、つまり彼女たちの父親との会話は見られなかった。

 まあ、姉の家庭はネットで見るほどの感じではないにしろ、うちとはまったく違うなと思った。確かにうちの娘もボクに素っ気ない態度を取るようにはなっているが、わりと話しかけてくるし、外を歩いているとときどき手を繋いでくることもある。まあ、だいたい「なにかほしいとき」というのはあるけれども。

 これは社会的なものなのではないかなと思う。タイではある意味では家族は対等であり、子どもは両親を大切にするという風潮が強い。日本では子ども側に「自分を産んだのだから面倒を見るのは当たり前」というような、飲食店で客がなぜか「お客様は神様」という理論を振りかざすのに似た、意味不明な考えがあるような気がする。

 そのあたりをがつんと社会が否定するのではなく、社会側も「子どもを産んだ責任」を親に押しつけるようなところがある。最たるものは、殺人犯の親などをテレビレポーターが追ったりするでしょう? ああいうところだ。タイでは基本的には親をゴシップ記者が追うことはないし、国民側もそこに興味がない。ある程度の年齢までは確かに親の教育など責任はあるかもしれないが、成人後の犯行に対して親までもとやかく言われるのはいかがなものかとボクは思う。

 もちろんすべての家庭の女の子が父親に反抗的になるわけではないし、タイでも父に対する悪態や反感がないわけではない。現在は様々な事情やライフスタイルもあって両親が揃っている家庭が当たり前ではないということもわかっている。あくまでも、ステレオタイプに反抗する日本の年頃の子の話を聞くと、タイ人の子どもでよかったなとボクは思うという話だ。

 まあ、あまりにもちょっかいを出すので、学芸会などでは「絶対に来ないで」とはボクも言われてしまうけれども。娘に向かって大きな声で名前を呼び、全力で手を振るなどをボクはやってしまうので。それがさすがに恥ずかしいらしい。「うちの親、外国人だから」なんて言ってくれていいんだけどね。年頃の子どもはそう思わないか。

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