見出し画像

 タイに限らず東南アジア人は――いや、むしろ日本人以外と言った方がいいかもしれないが、自己肯定感が高い人が多い。だから、SNSでも動画でも、自撮りをしてそれを堂々公開する人が多い。ボクの妻もそのひとりだ。妻のSNSアカウントを見るとなんというか、すごいなと思えてくる。しかし、その自撮りの裏側をボクは見てもいるので、そこまでしなくてもなあと思えてもくる。

画像1

 以前、下記に自撮りのことについて書いた。タイ人は自己肯定感が高く、SNSや動画で自分の顔を出すことを好むのはある意味では必然だったと言える。

 ボクは最近facebookはほとんど使っていない。ツイッターはたまに仕事の宣伝や、つぶやこうかなと思ったときに利用する程度だ。今はInstagramをよく使う。画像アップが簡単だし、コメントもつけなくてもいい。その気軽さがアップする側としても、観る側としても都合がいいからだ。

 とはいえ、ボクはアップする場合はほとんど風景や建造物、あるいは食べものばかりである。さすがに自分をアップする気にはならない。しかし、一方で目にしていいねを押したくなる画像は大概、ちゃんと顔をアップしている投稿だ。日本人の場合は基本的には芸能人が主になるが、フォローしている台湾人、インドネシア人などは半分素人、半分インスタグラマーみたいな人が多く、彼らも堂々顔を出している。

 そう考えると、顔を出すというのは、たとえばボクが仕事で書くときはすべて本名でやっているのと同じように、ある意味ではサインにも似た、情報発信者の証拠でもあるのかもしれない。顔はその情報の裏づけでもあるのかもしれない。理に適っているとでも言おうか。

画像2

 とはいえ、自撮り棒を使うとか、手を伸ばして撮るという範囲内ならまさに「自撮り」ができるが、アングルや距離感によってはさすがにそうはいくまい。そうなると、ここだけ昔のアナログ的な感じで、人に撮ってもらう必要が出てくるわけだ。

 しかし、このご時世だから、いくらなんでも誰にでも頼めるわけではない。だから、そんなときは同行者に撮らせることになる。自撮りと言っても、ケースによっては周囲に負担をかけることになる。

画像3

 我が家においてはその被害に最も遭っているのは娘である。息子はさすがに小さく、妻は娘にときどき撮影させている。身内だから容赦ないので、気に入らないと何度でもやり直させる。

 子どもというのは親のことをよく見ているものだ。自宅の冷蔵庫が3段で一番下が野菜室になっているのだが、妙に閉まりが悪く、たまに開いてしまっていることがある。タイの場合は外気温が高いので、そうなると野菜も急速に傷む。だから、つい癖で上の段で水を取ったときなどに足で下の段の扉を押して閉まっているか確認してしまう。

 これを息子が見ていて、彼も水を取るとバシンと下の扉を足で蹴るようになってしまった。彼はもちろん意味は分かっていない。ただただ、親の何気ない行動もしっかり見ているのだ。

 そして、だ。SNSに載せるための写真を撮らせ、娘の前といえどもポーズを取っちゃう親を子どもたちはしっかり見ている。息子はボクに似てあまり写真は好きではないようだが、娘は小さいときから大好きだ。同時に親の写真への情熱も見てきた。

 これがどうなるのかというと、娘が大きくなり、友人とLINEなどで会話をするようになると、そこやインスタに画像をアップするようになる。そのために、父親に写真を撮らせ、親の前といえども堂々笑顔を作ったり、ポーズを決めたりするようになる。

 中学生になって、日本のように父親にひどいことを言うなんてことはタイではないにしても、ニコニコと話しかけてくることはない。しかし、カメラに向かってはそれができる。いつもカメラ越しに娘の顔をまじまじ見ていて、よくやるなあと思う。

 娘は自分のスマホ・カメラがよくないので、ボクと出かけたときはボクの仕事用のカメラで撮らせる。一眼レフなのでより撮られている感があるのでしょう。

 ちなみに、娘はシャッター音、あるいはレンズ越しにシャッターが下りるのが見えるとポーズを変えていく。しかし、一眼レフに慣れていない妻は、シャッター音が聞こえてもずっと同じポーズで突っ立ったままだ。そこに年齢を感じるね。

 娘は妻のようにその場では確認しないものの何十枚も撮らせ、家に帰るとパソコンで画像を見ていいものを指定し、明るさ調整などした上でラインに転送させる。結構時間がかかるので、今、娘の自撮り系はボクに大きな負担になっている。自撮り画像の裏側は結構楽ではないのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?