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タイでは餓鬼道と地獄道はセット?

 タイでは小学生から仏教神話の授業があるようだ。だから、小1なのに瞑想とかの言葉を知っているし、仏像や仏教に関する知識が多少ではあるが身についている。これがタイ人のベースになっているのかなと思う。

 ところが、なぜかタイでは餓鬼道地獄道がいっしょくたになっているケースが多い気がする。三悪道のうち畜生道ははっきりと分けていて、タイ語では相手の悪口に動物の名前がちょくちょく出てくる。なぜか餓鬼道と地獄道は分けていない。

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 タイの餓鬼はプレートという。餓鬼の語源であるプレータがそのままタイ語に訛ったものだ。近年は地獄寺と日本人から呼ばれる寺院が注目されるようになっている。地獄道を表したオブジェが有名な寺院が地獄寺と呼ばれるのだが、オブジェは基本的にプレートが展示されている。

 もう一度言うと、プレートは餓鬼になるので、本来なら餓鬼道の世界を表現するべきはずなのだけれども、地獄寺で展示されているオブジェはだいたい地獄道だ。

 そもそもタイ人の中にはプレートは心霊や妖怪の類と認識している人も少なくない。学校ではちゃんと餓鬼と習っているはずだ。それなのに、妖怪などとしてこの世にも現れる存在だと思っている。

 そんな妖怪的なプレートの中で、最も有名なプレートはバンコクにいる。

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 バンコクの旧市街にあるワット・スタットがプレートの目撃情報で有名な寺とされる。

 かつてバンコクではコレラが大流行し、たくさんの死者が出た。火葬が間に合わず、ハゲタカに食べさせる鳥葬をしていた。そのため、そのころはタイ語で韻を踏んで「タカはサケット、プレートはスタット(※)」という言葉が流行ったとか。(※แร้งวัดสระเกศ เปรตวัดสุทัศน์)

 しかし、実際には噂の尾ひれがそうなっているだけで、本当にプレートを目撃したという人はいないはず。そのあたりはボクが書いた「亜細亜熱帯怪談」で紹介しているので、ここでは割愛する。

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 簡単に言えばワット・スタットが有名なのは、巨大仏像を囲む柱が地獄道などを描いていて、その一部にプレートが描かれているからだ。地獄寺は戦後になってから増えてきたため、以前は寺院の壁画やオブジェで地獄を表現することはほとんどなかったそうだ。1800年代には珍しい地獄を表した絵があったということが当時話題になったと見られる。

 同時に、寺院の前にある巨大ブランコであるサオチンチャーもまたプレートの目撃談が増える要因となってしまっている。細く高いので、タイ人のプレートのイメージもそれになっている。ただ、実際には多種あるプレート(数は流派などで違う)の中に確かにそういうプレートはいるものの、必ずしも背が高いだけタイプだけではない。

 ワット・スタットの住職に話を聞くと、当然ながらプレートはあくまでも餓鬼として、現世で人間がやってはいけないこと、それをするとどうなるかを説くものがプレートの姿であり、妖怪として、また地獄道に落ちた者として説いているわけではない。

 結局のところ、小学生から習っているとはいえ、厳密に学習して憶えているわけではない。だから、タイ人の中にはプレートを誤解している人もいるわけだ。この適当さはタイ人らしい。ただ、ああはなりたくないという点では餓鬼道でも地獄道の存在でも同じなので、教えとしては機能しているのかなと思う。

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