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アユタヤの伝統菓子「ローティー・サーイマイ」で新たにわかったこと

 先日、タイの古都、バンコクから北に車で1時間ほどの距離にあるアユタヤの伝統菓子「ローティー・サーイマイ」について記事を書いた。

 この記事の中で「なぜバンコクに店がないのだろうか」といった疑問を書いた。正解かどうかわからないが、今回、用事でアユタヤに行った際に見聞きして来たことからバンコクでは難しい事情がわかった気がした。ここではそんなローティー・サーイマイの新情報を紹介する。

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 マップは文末で紹介するが、相変わらずローティー・サーイマイ店はチャオプラヤ河沿いのウートン通りに多い。週末は渋滞するほどなので、人気の高さが窺える。

 今回は日曜日に行ったので、より激しい渋滞に巻き込まれてしまった。とはいえ、まずひとつ新しいことを知った。それは、アユタヤのローティー・サーイマイ店は店名の頭に「バン」がついている店が多いことだ。上の画像はバン・ビーだし、バン・マットという店は支店が多い人気店のようだった。

 この「バン」はピーという意味だそうだ。おばけのピーではなくて、年上の人を指すピーである。イスラム系住民だけが使う言葉で、兄や伯父などの男性の名前の前にバンとつける。中華系住民にもヒアなどの呼び方もあるし、タイは多民族国家らしく、人の呼び方の単語から出自がわかる

 ローティー・サーイマイはイスラム系の伝統菓子であるが、アユタヤはインド系のイスラム住民が先祖になると言われている。それでもタイ南部のイスラムと同じように兄や伯父のことをバン誰それと呼ぶ。そして、それが店名になっているというわけだ。イスラム系住民なので男性の名前が冠されていることが多いのも特徴になる。とはいえ、女性店主の店もある。その場合は母を意味するメーがついている店が多かった気がする。

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 ローティー・サーイマイの肝であるこの砂糖菓子は、どの店も画像のような大袋と小分けにしたものを用意している。相場は小分けの袋と適当な生地の3セットで100バーツだ。注意したいのは、量は店によって違うことである。

 そして今回、店の人に話を聞いてわかったのが、この砂糖菓子の作り方だ。粉(小麦粉なのか片栗粉なのかわからなかった)を食用油に入れて火を入れながら練り、そこに砂糖や水、着色の材料を投入する。そして、できあがった水飴状のものを線にしていく。前回説明したが、ローティー・サーイマイのサーイマイは絹糸という意味だ。細く水飴を伸ばしていく。

 この伸ばし方がすごい。今も機械化されずに手で伸ばすのだが、中華料理店の手打ちそばのような作り方をする。棒状に細くした水飴の両端をくっつけて輪っかにする。それを二重にして伸ばすことを繰り返す。そうすれば、2本、4本、8本、16本、32本、64本、128本、256本・・・・・・と倍々に増えていき、最後は数百万本の細い線になる。

 手打ち中華そばなら伸ばして行くにしても柔らかいからいいが、砂糖菓子は柔らかいうちは熱いし、冷えてくれば固くなる。要するに砂糖菓子を作るのは力作業であるし、伸ばすための調理台が大きくないといけない。そうなると、バンコクでできるものではない、というわけだ。場所も人員も到底間に合わない。これがローティー・サーイマイがバンコクに来ない理由のひとつなのではないか。

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 生地の作り方も変わっていた。洋風のクレープのように薄く生地を広げているのかと思いきや、かなり粘度の高い生地の素を作っている。言ったら、パンの生地よりもちょっと柔らかい、あるいは表面が生のような感じというか。

 ボールなどにその生地の素を入れ、手で掬う。ちょうとあんパンくらいの大きさを手に取り、それをべたっと鉄板に起き、ちょうどいい大きさに伸ばす。もんじゃ焼きの焦げせんべいを作るみたいな要領だ。しかし、それでは生地が多いので、フライパンの上の生地を掴むと、火が通っていない部分は手に戻ってくるので、また新しい生地と混ぜて、を繰り返す。

 この生地の作業もそう簡単ではない。1セットに5枚以上はあるので、少人数では間に合わない。できたてが必須のようなところがあるので、バンコクではスペースを確保するためにはそれなりに資金がいるだろう。結局、ローティー・サーイマイを作るのはすべての工程においてバンコクは不向きなのだ。

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 ローティー・サーイマイが、タイ南部やバンコク、リゾートなどで見かけるイスラムのスイーツであるローティーとはまったく違う作り方で、改めて驚いた。

 そんなローティー・サーイマイだが、ボクからするとどこも似たようなものなのだが、タイ人にはタイ人の味覚がある。そのため、明確に人気店とそうでもない店に分けられる。

 たとえばボク自身が見かけた人気店はどこも行列ができていて、待ってでも買いたいというタイ人で溢れていた。

 そのひとつめが、上記のアユタヤ病院前だ。通りは同じウートン通りで、この病院の前のセブンイレブンのそばだった。セブンを正面に見て右側にあった店はとにかく人が並んでいて、この行列のせいでこの近辺は昼ごろから少なくとも夕方まで大渋滞になっていた。

 それからアユタヤ旧市街の西側にかかるカサティラート橋の近く。この橋とウートン通りの交差点をアユタヤ病院の方に戻るとすぐ、両サイドに1軒ずつ行列の人気店があった。

 ちなみに、今回知ったのだが、アユタヤはクイッティアオ・ルアも有名らしい。いつか改めて紹介するが、クイッティアオがタイの国民食になったのは第2次世界大戦中のことだ。アユタヤ王朝時代に渡来しているらしいが、そのころは中華系住民しか食べていなかった。しかし、今現実的にアユタヤもクイッティアオ・ルアが名物なのだとか。

 クイッティアオ・ルアとは小舟で売り歩いていたクイッティアオ(米粉麺)なので、器が小さい。看板を見ると1杯が15バーツの店が多かった。そんなクイッティアオ・ルアもまたウートン通りに集中していて、このカサティラート橋からアユタヤ病院の間にたくさんの店があった。アユタヤ・グルメも結構奥が深そうである

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