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「道は険しいもの」っていうのは、昭和な考え方なんですかねぇ。

柔道、剣道、書道、野球道などの終わりなき「道」

「道」ってつくものの中には、その道を極めるという姿勢を表す意味をもっているものがありますが、そういう意味を持たせた「道」には終わりはないんだよなぁとつくづく感じることがありました。

学んでも学んでも終わりがない。

堂々巡りのように見えますが、それはきっと前に進んでいると信じて進んでいくしかない。

「在り方」「姿勢」そのものが「道」

僕自身は野村克也さんの書籍や言葉に影響を受けていて、野球経験者でもあるので「野球道」にも影響を受けていて、それは野球だけでなく人生にも役に立っています。

ある意味「信仰」に近いものがあるような気さえします。

しかし、野球道だけでなく、それぞれ趣味趣向のジャンルや仕事のジャンルにも「道」ってあって、達人と言われている人は、その道を極めているし、その道のあり方もそれぞれ。

自分の生き方を「自分道」って表現するとしたら

よく「自分らしく」とか「ありのまま」とか言いますが、そういうのとはちょっと違い「理想の自分」を高みに置き、そんなセルフイメージに向かう道を、自分道だとしたら、どんな道だろうって考えてしまいました。

「ここは譲れない」みたいな、自分ルールみたいなものですかね。

困難にぶつかった時ほど「道」から外れないように。

自分はまだまだな人間なので、自分が目指すセルフイメージには程遠いですが、困難なことにぶつかった時ほど、「自分道」が試されるなと。

現状の自分に甘んじるか、目指す自分ならどう行動するか、どう考えるか大事にしていかないと、成長がとまるか、道から外れるかになってしまう。

今月また一つ歳をとるので、そんなことを考えてしまいました。
「道は険しいもの」っていうのは、昭和な考え方なんですかねぇ。



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