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『出演のご案内』とクリスマスキャロル

出演のご案内

マサチューセッツ州ウースターにあるハノーバーシアター(Hanover Theatre)で上演されるチャールズ・ディケンズの名作『クリスマスキャロル』に、アンサンブルとディック・ウィルキンス役で出演することになりました。
この公演は2024年12月に上演され、地域最大級の規模を誇る『クリスマスキャロル』のプロダクションです。
日本ではアメリカほど知名度が高くないかもしれませんが、『クリスマスキャロル』は毎年のクリスマスシーズンにアメリカ全土で上演される伝統的な物語です。

クリスマスキャロルのあらすじ


『クリスマスキャロル』
は、利己的で冷酷な金貸し、エベネーザー・スクルージが、クリスマスの夜に訪れる3人の幽霊との出会いを通じて、改心し、人間らしさを取り戻す感動の物語です。

物語はクリスマスイブに始まり、スクルージは貧しい人々やクリスマスの意義を軽蔑し、従業員ボブ・クラチットに最低限の賃金しか払わず、彼の家族が苦しんでいることを気にも留めません。7年前に他界したスクルージのビジネスパートナー、ジェイコブ・マーリーの幽霊が彼を訪れ、生前の罪を後悔しているマーリーは、スクルージに3人の幽霊が訪れることを告げます。

過去、現在、未来のクリスマスを表す幽霊たちは、スクルージのこれまでの人生や周囲の人々の困窮した状況、そして未来に待つ孤独な死を見せます。スクルージは自分の過ちを悟り、心を入れ替え、クラチット家を支援し、クリスマスの精神を讃える人間へと生まれ変わります。

産業革命と救貧法


この物語は、産業革命による急速な工業化と、それに伴う貧困層の増加が背景にあります。当時のイギリスでは、資本主義が進行し、労働者階級の生活は厳しいものでした。
スクルージはこの時代の冷酷な資本主義の象徴として描かれており、彼の転換は単なる個人の救済ではなく、資本主義社会に対する批判を示しています。

当時の救貧法は、貧しい人々が救貧院に送られ、厳しい労働を課せられる制度でしたが、実際には貧困問題の解決にはならず、多くの人々が過酷な状況に追いやられていました。
このような社会背景が、スクルージの変化を通じて強く反映されています。

チャールズ・ディケンズの生涯


チャールズ・ディケンズ(1812年-1870年)は、
ヴィクトリア朝時代のイギリスを代表する作家で、貧困や社会的不平等をテーマに多くの作品を執筆しました。彼の幼少期は貧困とともにあり、父親が負債により投獄されたことで、ディケンズ自身も10歳から工場で働かざるを得ませんでした。この経験が彼の作品に大きな影響を与え、貧困層の生活や社会的な不平等を深く描く作家としての地位を確立しました。

『クリスマスキャロル』は、ディケンズが社会問題に取り組むために執筆した作品の一つで、1843年に発表されました。
彼の作品は、単に物語を楽しませるだけでなく、当時の社会状況や人々の苦しみを描くことで、読者に考えさせる内容が多く含まれています。

ハノーバーシアターについて


ハノーバーシアターは、1904年に設立された、マサチューセッツ州ウースターの歴史ある劇場です。
約2,300席を誇るこの劇場は、年間を通じて多くの公演を開催し、地域の文化的中心地となっています。劇場の豪華な内装とマイティ・ウーリッツァー・オルガンが特徴で、伝統的なクラシック演奏会からブロードウェイショーまで幅広い公演が行われています。

毎年恒例の『クリスマスキャロル』の公演は、地域住民にとって特別なイベントであり、家族連れで訪れる人々が多いです。
観客は豪華なセットや衣装、素晴らしいキャストのパフォーマンスを楽しみながら、ディケンズの時代のクリスマスの精神を感じることができます。

パーマストン外交


ヘンリー・ジョン・テンプル(パーマストン卿)は、19世紀イギリスを代表する政治家であり、2度にわたって首相を務めました。
彼は強硬な外交政策でイギリスを国際舞台で主導する立場に置き、アヘン戦争アロー戦争との貿易に優位な立場を確保しました。
当時、世界の国際政治は「パーマストンを中心に回っていた」と言われるほど、彼の影響力は強大でした。アメリカ南北戦争クリミア戦争でも、各国は彼の動向を注視しながら政策を決定していました。
南北戦争は本来、奴隷解放を目的とした戦争ではありませんでした
当時のアメリカは今のように一つの国としてまとまっていたわけではなく、今のEU(欧州連合)のような共同体のようなものでした。
合衆国憲法も各州が結んだ条約のようなものに過ぎませんでした。北部はその共同体を壊さないようにするために南部の離脱を止めることが南北戦争の主目的でした。
その証拠に当時のアメリカ第16代目大統領エイブラハム・リンカーンは南部に対して「連邦に留まってくれるなら奴隷制を認める」と提案しました。
しかし南部はこれを拒否し、結果的に南北戦争が勃発しました。
当時世界第3位の大国であったフランスが南部を承認したので、リンカーンはイギリスの支持を得るために「奴隷解放」という大義名分を掲げました。
パーマストンは熱心な奴隷廃止論者であり、リンカーンに対して好意的中立を維持しました。彼の外交手腕は時に他国に脅威を与え、アメリカとの間で起こったアレクサンダー・マクラウドはスパイとしてカナダ国境で逮捕され、殺人罪で逮捕されていましたが、イギリスのパーマストンが「容易に忘れられない教訓を与えることになる」と脅迫したことで、大統領は泣き寝入りし、マクラウドは無罪となり釈放されました。
イギリスはインドから軍隊を送ることができる一方、アメリカは大した軍事力を持っていませんでした。当時小国のアメリカは常にパーマストンに気を遣い続ける必要があるほどでした。
またフロンティアも、パーマストンがいないときに膨張しており、フロンティア精神とは、超大国イギリスの顔色を伺いながら拡大していく精神に過ぎません。パーマストンの外交政策は、イギリスが当時の国際舞台で圧倒的な影響力を持つことを可能にし、彼の存在は世界中の政府に強い影響を与えました。

まとめ


『クリスマスキャロル』は、単なるクリスマスの物語ではなく、19世紀の社会問題や国際情勢を背景にした深いメッセージを持つ作品です。産業革命の進行と共に貧富の差が広がる中、スクルージの変貌は資本主義に対する批判を象徴しています。
さらに、パーマストン卿のような国際的な影響力を持つ人物が活躍した時代背景も無視できません。

私が出演するハノーバーシアターでの『クリスマスキャロル』は、こうした歴史的背景を踏まえつつ、観客に感動を届ける素晴らしい作品です。
もしマサチューセッツ州にお越しの際には、ぜひ劇場にお越しください。

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