時間を何に使うか?

セネカへ。

僕は今日、有馬さんのお誘いで、1~2分の即興スピーチをする集まりに出席した。

もらったお題は、「今年は衆議院選挙ですね。そこで、立候補されるあなたの公約を教えてください。」
そして、なにも言えなかった。

うまいこと言おうとして、出てきたいくつものテーマは、どれも1時間あっても足りないような大きな社会課題の数々だった。
極端な政策を言ってみて笑いを取ることもできただろう。
まじめに価値観を問うこともできただろう。
しかし、1分で語れるなにものも、僕の口からは出てこなかった。

それがめっちゃ悔しくて、もう3時間位ひとり2役で反省会をしている。

「歌手が歌詞を飛ばしたらみんな笑ってくれるだろ?一緒だよ。
別にいいじゃん。焦りは何も産まない。焦ったら、息を吐こう。」
そうやな。ありがとう。

今日の朝と今とを比較して、成長したことは?
伸びしろに気付けた。リーダーシップ開発を通じて質問が上手くなったように、話し方も効果的に練習してもっとうまくなりたいと思えた。

気付いたことは?
有馬さんが話し始めた瞬間に、雰囲気が変わるんだよね。何かが憑依したように、凛とした話し方。僕も優モードを習得して、今後のスピーチは優モードで行こうかな。

言ってみてどう?
僕にもすでに、優モードのかけらはたしかにあるな、と気付いた。
僕も人前で話す機会は多い方で、その中でもうまくいった時を思い返すと、そういう憑依があったなと思う。やさしく語りかけるように、自分の美徳を寸分の迷いなく話す自分。
そういう姿に、聞く人も感銘を受けるんだと思うし、迷いなく言葉に結晶化した信念は、語り手の人生観そのものだろう。人や本との対話を通じて人生観、歴史観、世界観を持つ。その中から必要な言葉が立ち現れてくる。みんなの前に立って話す自分は、そういう自分でありたいと思う。

自己一致。それは、自分の信念と行動が一致していること。
自分が本当に大切だと思えることに、自分の人生の時間を使っている時、人は人生を有意義に過ごせている実感が持てる。

自己一致している人は幸いである。
でも、そうじゃない生き方をしている人は多い。

人に言われたことをやる。
人に要求されたこと、期待されたことをやる。
みんながやっているから、やる。
やらないと不安だからやる。
気晴らしや現実逃避になるからやる。
過去からの思い込みでやる。
中毒でハマっている。
怒りや憎しみ、復讐心からやる。

こうした時間は、人生の無駄遣いだ。

セネカの「人生の短さについて」を読んで、時間って何に使えば「有意義な時間の使い方をした」と言えるだろうか、とずっと考えている。

孟子は言った。「為さざる有るなり。而る後、以て為す有るべし。学はこれに過ぎず。」
やるべきでないことがある。そのあと、やるべきことがある。
良くないことをしない。そして、良いことをする。

ソクラテスは言った。吟味されざる生に、生きる価値なし。
内省の時間を取れないくらい忙しいなら、何かを間違えている。

じゃあ、何に時間を使うことが有意義な人生になるのか?
自分が本当に大切だと思えることって何だろう?

衣服哲学にある。

Be no longer a Chaos, but a World, or even Worldkin!

混沌であってはいけない。自ら宇宙となれ。大きな宇宙でなく、小さくともよい。調和した、完成した、円満な宇宙となれ。
何でも良い、作れ!創造せよ!
たとえそれがproductの何万分の1、何億分の1の微々たるものであってもよい。神の名において作れ!それがお前のなしうる最上の仕事だ。さらばそれを行え!お前の手の見出すところの為すべきことを、全力で為せ!

Do the duty which lies nearest thee, which thou knowest to be a duty!
Thy second duty will already have become clearer.


スピーチは、ラブレターと同じで、受け手が全てだ。
つまり、受け手がどう思うかが、スピーチの良し悪しを決める。

僅かな時間で伝えられることと、深い洞察に基づいていることは、両立するだろうか。

自分の内側に、大切な言葉をたくわえておくこと。
話す前に「何を話すか」と思い煩わないこと。
そうすれば、話すべきことは自ずと出てくる。

「準備がすべて」という言葉がある。
「工夫は平生にあり。場に臨んでは無分別なるべし」という。
コミュニケーションの準備は、命の言葉をたくわえることだ。

あなたにとって素敵な1日でありますように!