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21世紀の社会を読み解くコツ

土木広報はまだまだ黎明期?

「土木の魅力を発信したい」という思いを持った若手土木技術者が増えている。
Doboku Labでも、土木の魅力や面白さが土木業界の外に伝わるためにはどうすればいいか、という話題は頻繁に発生する。

しかし、土木広報のこれまでの敢闘にも関わらず、相変わらず土木の認知度は低いと言わざるを得ない。
土木は河川にも関わっていると言うと、「土木で河川??なぜ??」と言われるのがまだまだ現状である。
何が起こっているのだろうか?

その前に

こういう社会情勢を分析する際、ありがちなアプローチは
「何が悪いんだろう」
「何が足りないんだろう」
と欠けているところに目を向けて、改善策を模索することだ。

しかし、このアプローチ(原因論)は理系の話題では機能するが、人間が絡む話になるとうまくいかない。
なぜなら、社会をうまくいっている部分とうまくいっていない部分に切り分けることができる、いわゆる「困難は分割せよ」とするデカルト以来の近代の前提が、この社会では成り立っていないからである。

組織論の名著「学習する組織」を読んで得られる重要な示唆の一つは、「システムは、分割不可能な全体として見る必要がある」ということだ。

この記事では、まず現象の奥にある構造に焦点を当てる。何かが悪い、誰かが悪いと考えるのではなく、構造としてそうなるべくしてそうなっている、と考えるのだ。
そのような種類の社会問題の場合、技術で解決できる問題というよりは、私たちが根本的に考え方を変えないと解けない問題のことが多い。
このように、システムの構成員が根本的に考え方を変えないと解けない問題のことを「適応課題」と言う。
ハーバード大学でリーダーシップの教鞭をとっているハイフェッツ先生の指摘は、「20世紀までは技術課題が多かったが、技術革新の加速に伴って技術課題は減少し、21世紀は適応課題に直面する時代になるだろう」ということだ。

土木広報の構造

土木事業は公共事業である。
すなわち、最終的なお金の出し手は政府であり、自治体であり、JRであり、NEXCOである。
だから、一般の人々に土木のプロダクトを知ってもらっても、建設業の売り上げ増加につながらない。

これが、花王やP&Gのような消費者業界の場合、一般の人々からの認知度が、そのまま売り上げに直結する。だから、業界各社は死に物狂いでプロダクトの魅力を紹介するのだ。
「アタック抗菌EXはニオイ菌まで除菌!」というように。

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現状、建設業がCMを打つ、唯一と言っていいモチベーションは、求人広告である。
建設業の求人広告には名コピーが多い。

「子供たちに誇れるしごとを。清水建設」

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「地図に残る仕事。大成建設」
このCM泣けるんですよね。

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こうして土木は業界の外の人々に「工事するみたいな感じ…?」というイメージを完成させるに至った。

土木広報をやっても売り上げは上がらない。
それでも、土木のPR活動には価値がある。
大事なことは、相互理解である。

何のために土木広報するの?

もしも原因論でアプローチしたら、こうだ。
土木広報をやっても売り上げは上がらない。なぜだ。売り上げが上がらないのは、ニーズがないからだ。ニーズがないということは、発信しても見てもらえないということだ。見てもらえないということは、発信しても意味がないということだ…(以下、泥沼へつづく)

そうやって広報活動を控えておこうとする弛まぬ努力が、今の土木への無理解や、合意形成の困難さを形成してきた、とも言える。
一見正しそうに見えるのが、原因論の恐ろしいところだ。
しかし、それでは適応課題は解けない。
いいですか。原因論では適応課題は解けません。
考え方を変える時です。

東京オリンピック組織委員会で起こっていることも、ほぼ同様だ。
組織委員会は、今みんなに無能だと思われているだろう。
しかし、上層部がスキャンダルを起こしている間に、専門家チームは「どうしたら東京オリンピックを成功に導けるか」「どうしたら感染リスクを抑えて、みんなに楽しんでもらえるか」と必死で頭を絞って対策を練ってくださっている。
実際、開催プランの見通しも立っている。

しかし、メディアが報道するのは組織委員会のスキャンダルだけだ。
4ヶ月後に迫った東京オリンピック。
「ちゃんと情報公開してください」
「情報公開はしている」
「でも、私たちにはわからない。もっと伝わるように広報してください」
もう幾度となく聞いたやりとりだ。
ゴミ処理施設の住民説明会で、東電と福島県民との対話の場で、あるいは原発の高レベル放射性廃棄物の地層処分場建設に向けた住民説明会で…
共通点は何か。どれも揃いも揃って適応課題だということ。

技術者は、技術で大体のことは解決すると思う傾向がある。
しかし、21世紀は適応課題の世紀だということを念頭に置いて見ると、世の中が違って見えてくる。

大事なことは、相互理解である。
東京オリンピックにしても最終処分場にしても、一般の人々に「丁寧に説明さえすれば納得してもらえる」と思うのは傲慢である。
はじめに相互信頼ありき。その後、「この誠実な人たちが懸命に取り組んでいるのだから大丈夫だ」と思う。これが「安心」である。
同じ行動でも、「無能がたまにいいことをしている」と「誠実な人達がいつも通りいいことをしている」では、印象が正反対なのである。

相互信頼というのは、文字通り「相互」である。
社会変革も組織変革も、まず自己変革から。

まず変わるべきは常に我々である。

相互信頼を作るために、まず発信する人達が、「応援してくれる人は必ずいる」と信じること。そして、応援してくださる人たちのために、誠心誠意、誰がどんなことを考えて、どんな思いを持ってこの仕事をしているかを発信すること。
そうすれば、見た人の中から「この誠実な人たちが懸命に取り組んでいるのだから大丈夫だ」が徐々に立ち現れてくる。

このプロセスを経て、人に焦点を当てた広報は、単なるスターの祭り上げではなく、誠意に基づいたものになる。

社会心理学からの重要なヒントは、「少数者による説得」である。
少数者が団結して一貫したメッセージを発していると、だんだん多数派の意見が変わってくる、というものだ。
この時の少数派の人の注意すべきポイントは、
①とにかく主張が一貫していること。
②決して多数派の敵ではない、むしろ味方だ!と思ってもらうこと。
③粘り強く、かつ柔軟に振る舞うこと。

突き詰めると、いくら綺麗に取り繕っても必ず本質は透けて見えるので、取り繕う前に真摯に自己研鑽しましょう。大切なキーワードのひとつは、「適応課題」です。

最後に、僕がいつも心に念じている宮本武之輔の言葉を掲げます。
「君たち学生は工学の知識を吸収しただけでは知識人ではないし、実社会に出ても役に立たない。人間として未熟である。政治学、法律学、経済学、文学、西洋哲学、歴史学、物理学、化学、なんでも貪欲に学ぶのだ。若いうちに学んで鍛えるのだ」

あなたにとって素敵な1日でありますように!