受験生へ

いま不安な受験生は、そりゃ不安だよね。もっと賢くなれ。もっと強くなれ。それだけが自分を不安から解放してくれる。来年3月以降、悔いの残らないように。

でも、実は僕が本当に心配していて、メッセージを届けたいのは、「いま不安じゃない受験生」だ。
より正確に言えば、本当は不安なのに、自分の不安を抑圧して、無かったことにして、現実逃避に走っている受験生だ。

僕は、2回受験を経験した。2回とも、反省点たっぷりの受験生生活だった。

身に迫るような不安を感じられている時点で、そのステージに立てている証だ。本当に重症なのは、うまく不安に向き合えていない、一見能天気にも見える受験生だ。どうしたらいいかわからないし、正直過去問を解きたくもないくらいだけど、他の人に思いを打ち明けたり頼ったりするのに慣れてないから、誰も心配もしていない。ただ、時間が過ぎていく。

僕は、そんな受験生だった。
2017年4月、毎週のように北朝鮮がミサイルを飛ばしていたあの時に、僕は、駿台3号館で、四六時中ミサイルについての資料を漁り、Jアラートや北朝鮮の動向を伝えるニュースに釘付けだった。

東大模試を受けてもE判定しか出なかったけど、そりゃ身が入ってないからそんなもんだよね、と自分を納得させたこともあった。

やがて、夏の猛暑で立っているだけでも汗が吹き出してくるような季節になった。その日の授業に使う教科書とノート、それに持っていないと不安な10冊以上もの分厚い問題集や参考書をつめこみ、重いリュックサックを持って毎日50分かけて通学する日々。着いた頃にはヘトヘト。

本当は、SOSを出したかった。
どうしたら、この状況から脱出できるんだろう。この恵まれた環境の何が不満なんだろう。たぶん、柵の中で生きている感じが嫌だ。そう考えると、受験そのものも柵の中の箱庭じゃないか。大学受験の物理の問題を解く時には、いくつかの方程式を適切なタイミングで立てて解けばいい。物理だけじゃない。化学も、数学も、センター世界史も、あたかも、カードをいくつか持っておいて、適切なタイミングで適切なカードを切るゲーム。それが大学受験。

そう考えてみると、大学受験なんて簡単なはずだ。だけど、カードを一つひとつ自分のものにする作業が退屈で耐えられないから、点が出ない。牧場の中で鞭を打たれて走り回る牛のような気持ちだった。だから、時々牧場からの脱走を企てて、大学生向けの分析化学のテキストや、ファインマン物理学を五冊すべて買って読み漁っていた。そんな時は、自由に学問をしている気持ちになれた。

特に楽しかったのは、戦前の日本の思想家を研究している時だった。僕は、「誰からも大っぴらに弁護されることのない、抹殺された賢人たちを、共感的に理解したい」という想いで、青空文庫に眠る古書をひたすら読み漁った。安岡正篤や森信三など、現代の人々にも受け入れられ、親しまれている戦前の思想家もいるんだ、ということが大きな発見であり、安堵だった。そんなことをしていたから、昔から得意だった国語はますます伸び、東大国語で8割取るまでになったが、相変わらず理数系科目は苦戦を強いられていた。

転機が訪れたのは、長かった夏ももう終わる頃だったように思う。僕のクラスを受け持っていた若い女性のTAが、面談を組んでくれた。TAさんは、じっくりと僕の話に耳を傾けてくれた。その時考えていたあらゆる論点についての僕の考えを語った。きっと、「そんなことを考えてる暇があったら勉強しなさい」と言いたかっただろうに、そんな雰囲気をおくびにも出さず、じっと傾聴してくれた。

どれくらいの時間話していただろうか。ひとしきり話し終えた時、僕はTAさんが赤い顔をして表情を歪ませているのに気付いた。その後すぐ、TAさんは風邪による発熱で早退した。僕は、恥ずかしいような申し訳ないような気持ちで、居た堪れなくなって、しばらくこの日のことが忘れられなかった。

「学問に対して主体的にそういう関心が持てることってなかなかできないことだし、すごいことだと思う。大学に入ってから絶対に強みになるから、その姿勢は大学生になっても忘れないでね。来年からそんな日々を送れるように、今は退屈かもしれないけど、しっかり学問の基礎を固めてみようよ。」みたいな感じの言葉をくれた。もっと良いことも言ってくれていたかもしれない。いずれにせよ、あの濃密な時間を過ごした後、僕はやっと真面目に受験と向き合い始めることができた。

それからは模試との向き合い方も変わった。やがて、なんとか直視できるレベルの結果も付いてきた。僕はその気になれば暗記も得意だから、20分ほどの英語の好きなスピーチをいくつか暗唱したり、モノマネしたりしていたら、英語の点数も徐々に付いてきた。英語さえ点が取れると、あたかも別のスポーツのように戦いやすくなるのが大学受験の特徴だ。

そして2018年の春、早稲田大学に入学した。「早稲田の理工学部と上智の法学部に合格して、早稲田の理工学部を選んだ」と言うと驚かれるけど、そういう背景があったのだ。

もし自分の近くの誰かが、あの頃の僕と同じような精神的窮地に陥った時、僕はあのTAさんのような真摯な関わり方をしてあげられるだろうか。受験勉強そっちのけで難しいあれこれを研究していたあの時、風邪をひいて大変な中でも一生懸命に話を聴いてくれたおかげで、人を助ける上での1番大切なことを教わったと思う。

じつは僕は、夏までの膨大な時間を、本に向き合って思索することに充てたことを、悔やんではいない。
要は、受験勉強よりも大切なことがあった。それだけなのだ。TAさんは、対立していた2つの目的をそのままに受け入れ、より大切な目的のために受験勉強を頑張れるように、僕の認知を変えてくれた。

僕は、嫌がる受験生に鞭打って勉強させようとは思わない。真っ白なままのノートに何時間も向き合って白い箱の中で時間を溶かすくらいなら、いっそ一日旅行にでも行って、少しでも良いコンディションで自分に向き合った方が後々のためになるはずだ。

そしていつか、やっとちゃんと不安を感じられる時が来る。不安を感じられるようになったら、もうその不安を抑圧せず、不安を感じている自分に、スタートラインに立てた自分にokを出してあげてほしい。そして、未来の自分に希望を託し、今この瞬間にも希望を見出すのだ。

もっと賢くなれ。もっと強くなれ。それだけが自分を不安から解放してくれる。

皆が、本当の意味で充実した人生を送れますように。そのために、僕の発するメッセージが、少しでも良い栄養になりますように。

あなたにとって素敵な1日でありますように!