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表現

オギーって全然自己表現しないよね


友人からふと言われた一言をしばらく心の中で反芻していた。

最近、この「表現」というものについてよく考える。正直、これまで自分の感情や価値観を意識して誰かに伝えようとしたこともなければ、その必要性すらあまり感じていなかった。もちろん聞かれれば答えるが、何となく伝えたいことは感じ取ってくれているだろう、何となく自分について理解してくれているのだろうとぼんやりと思い込んでいたんだと思う。

確かに自分の中で起こっていること(感情の起伏や価値観の醸成)を自分の内から外に現出させることなく他人に理解してもらおうなんて何とも図々しい話だ。

その友人と話をする中で、やはり自分は他者に自分のことを知ってもらいたいという思いが少なからずあり、自分自身を何かしらの形で表現することは大切なことだと感じるようになった。


さて、自己表現をあまりしない自分を認識して以来、じゃあどのような形で自己表現をしようかと考えを巡らせる日々が続いた。

まず最初に飛びついたのは「言葉」だ。自分自身、思考を言語化することについてはあまり抵抗はない。そのため、自分の思考や思想については比較的上手く言葉を操って表現できる。一方、これが自分の感情を言語化するとなると話は違う。トライしてみるもののどこかうわべったらしい言語表現になってしまう。そんな自分を見ていると言葉がどれほど信用に足らないものかを思い知らされる。

次に思いついたのは「身体コミュニケーション」だ。それこそ海外にいた時は郷にいれば郷に従えではないが、それなりにハグやハンドシェイクもしていた。しかし、今となってはやはりどこか恥ずかしい感じもあり、行動もぎこちなくなってしまう。悔しいがトイストーリーのウッディーやテディーベアのテッドの方が何百倍も身体表現が上手だ。

では、自分という人間を表現するにはどうしたらいいのか。今一番しっくりきているのは「雰囲気」だ。なんと自分らしいのだろう。さんざん自己表現と言っておいた挙句、雰囲気だなんて。

まぁ雰囲気と言ってもただの空気感ではない。例えば、都会でウィンドウショッピングをするよりも森を歩き、川辺や湖畔でコーヒーを飲む方が性に合っている。高級ホテルのディナーよりも地のものを自分で調理し、地のお酒で乾杯する方が贅沢だと感じる。そんな自分の好みや価値観を一緒に時間を過ごすことで共有できればそれも立派な自己表現になるのではないか?

結局、あれこれ考えていても何がいいのかなんてわからない。自分が自分らしくいられることが大事なんだ。でも、何が苦手で何が得意なのかを知っておくことは大事だと思う。本当はもう少し身体表現を上手くできるようになりたいとか、感情の言語化(自分の感情に向き合う時間)は大切にしたいと思っている。

まずは、こうやって自分について考えることがスタートかなと。これから少しずつ自分を表現できる大人になっていけたらいいなと思う。すごくふわっとした締めくくりだがたまにはこんな終わり方も悪くない。

今回、ここ最近の自分の思考を文章として表現してみた。これまでは思考はするが表現するまでもないかと思っていた。いや、本当は何か表現することで誰かから批判されることを恐れていたのだと思う。今年はちょっとだけ勇気を出して表現してみようと思う。

「表現しなければ伝わらない」

本当にその通りだと思う。この当たり前のことに気づかせてくれた友人に感謝したい。

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