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コルクラボマンガ専科を受けてみて

アカウントはあったけど、初めて記事を書いてみるよ。そんなに大したことは書かないよ。

なぜ受けたのか?

実をいうとTwitterでのコルクラボ界隈の人達の活躍を見るに、SNSの運用についての知見がかなりすごそうだ、というのがあった。そもそもSNSと向き合ううちに、SNSというのがかなりその人の性質、性格に引きづられている、という現実に直面していた。SNSは何かに特化した人がうまく行きやすいのはそうなんだけど、まず、ネット上とはいえ目立つのが嫌とか、あんまり知らん人とのやりとりが嫌とか、いろんな人の反応が怖いとか、みんなの自慢を見せられてるようで嫌とか、そういう人はなかなかうまくいかない。まずそういう前提もあった上で、どうやったらいい感じに運用できるのか?その謎が知りたかった。

そして漫画についてはずっとやってきたけど、基本的によっぽど飛び抜けた実力がない限りは肉を切らせて骨を断つ、ぐらいの心持ちでないと漫画で食べていくには難しい、という現実を感じていた。ただネット時代も長くなり、いろんな形でマネタイズすることができるサービスが増え、今なら何ができるのか?というのにも興味があった。

そしてシンプルに漫画もっとうまくなりたいよなというのもあった。マンガ専科というコミニュティに入ることによって、自分を前進させることができるのではないか?というのもあった。

漫画専科を終えて、何か結果がでた、というわけではないんだけど満足するぐらいには、いろんなものを得ることができた。

受けてみてどうだったのか?

SNSについて関心高めの部分があったのは確かなんだけど、ずっと漫画と自分に向き合ううちに、漫画が良くなっていったり、実力が伸びていくことに確かな手応えを感じた。

そして、自分にとって漫画ってなんなのか?ということをかなり考えることになり、そのことで、改めて、漫画で自分がしたいこと、ということと、自分が多分できないであろうこともわかってきた。

ボクが漫画でしたいことは、漫画で映画をすることだ。連載というよりも映画っぽいサイズのものをしっかりと作れて世に残せればとても満足なのかも、というのを感じている。が、ちょっとまだふわふわしている部分も感じる。

できないこと。ずっと家に引きこもって、漫画と向き合うことは多分できないだろうと思っている。内で完結させるほど外を知らないわけでなくて、ということが大きい。外に引っ張られてしまう。

心に残った言葉

漫画にも書いたのだけど、やっぱり好きだったものが嫌いになってしまっては本末転倒で、漫画が好きだったり、楽しいということが一番大事だ。そういうことが曲がってしまったり、曲げなければいけないということがあれば、漫画を描き続けることはできない。それに一番気をつけなければいけないと思った。

佐渡島さんもごとうさんも、そのことについては何回も言ってくれていて、それは嬉しい言葉であった。

適正とやりたいこと

でも漫画がやりたい、としても、漫画と相性が悪いということもあるかもしれない。諦めないことが美徳として語られることもあるが、嫌いになってまで諦めないことには意味がないのではないだろうか。

とはいえ、一流選手も途中、だいたい練習なんてやりたくねえ、となるらしいので、そこの匙加減はよくわからない(笑

しかし、あえてやりたいことであっても、適性が合ってなければ辞めてしまってもいいんだ、という気持ちでいるべきだ。合っていないことを辞めることは罪ではない。自分を責める必要はない。しかし適性が合ってなくても好きであるならばずっと続ければいい。

SNSという鬼門と、やり続けること

SNSはやり続けることが鉄則だ。そして習慣化というのは、マンガ専科の中のテーマとしてはかなり高いのであるが、このやり続けることがとにかく難しかった。強いていえば、やり続けることに適性がない、ということはあり得るのではないだろうか。じゃあ諦めるのか?と言われると諦めたくない、となる。

しかし、結局、できない自分の評価がどんどん下がっていって、メンタルが著しく低下してしまったのも事実であった。

ボクは天才だ。やり続けることをしないでここまできたんだから、天才以外のなんだ!とか、のたまってみたりした。悲しい(笑

佐渡島さんとごとうさんはなぜ、漫画の描き方を体系化するのか

佐渡島さんはご存知の通り、いくつもの有名作品の編集に携わった編集者さんで、ごとうさんは東京ネームタンク代表として、日々活躍されています。

このお二人が漫画を描くということを、今までの経験から体系化し教えてくれた。最後の課題のバディものを描き進めつつ、どうすればある一定のページに納められて、どうすればそれが効果的に伝わるのか。どうすれば良い漫画になるのか。

今までいくつものシナリオの本やら〜なんやら〜勉強はしてきたつもりであったのだけど、それを実際、自分の中でうまく昇華することができずにいた気がする。漫画という暴れ馬の手綱がどこだどこだと思いながら描いていって、やっぱり前に走ってねえじゃねーか、手綱はどこだ!と思うような、そんなマンガライフ。まあ、めっちゃ描きまくって、描きまくっていけばなにかしら見つかるんだろうけども。見つからぬままここまできてしまったのであるが。

しかし、まあ、なんというか、4幕の紙芝居から始まって、8幕、32ページと段階的に詰めていったんだけども、なるほどなと。面白いと。

なんなんだろう。本当に鮮明に、いろんなことがクリアになっていった気がする。ぐらい、衝撃的にいろんなことがわかった。振り返って、それはとっても嬉しいことだった・・なんか雑な感じの言い方だけど、いろんな謎が解けたり、点と点がつながったのだ。本当にありがとうございます。

あ、いや、違うかもしれない。いつもの、あ!わかったような気がしただけだったのか!と後で思うかもしれない。

ズーニーさんという存在

ズーニーさんは文章表現・コミュニケーションインストラクター、ということで、エッセイにも役立つ、自分を知るためのワークショップなどの講義をしていただいた。

最初、ここまでする必要あるのかな?という感想もちょっとあったのだけど、数回取り組むうちに思うのは、思った以上に自分のことなんてわかってないんだな〜ということだった。特に、一緒に誰かと組んでワークショップを進めるのだが、こんなに人とは違うものなのかということと、それにより浮き上がってくる自分という存在に、びっくりすることが多かった。「なんだ、自分てこんな感じなのか。いや、薄々気づいてはいた。気づいていたけどもそれにしたって!」と考えることが毎回で、その上でボクの「漫画で何したいんだよ」という問いかけに深さが生まれた。

漫画はただ描けばいいというわけでなく、やはり自分自身を反映してしまう。そう考えると、自分自身を理解していない、ということはうまく翼を使えず飛べない鳥のようだ、と思える。漫画もたぶん飛び立てないだろう。

自分を知ったときに初めて、漫画もぐいっと人の心に入っていくのではないか。いままで創作において自分自身を理解することをおざなりにしていたのだ。そんなことを感じた。

同期と自分

同期が五十人ぐらいいた。何人かの人たちは辞めたのか、休止なのか、ちょっと減ったりもした。しかし、集団に足並みを揃えることの難しさ・・ボクもひしひしと感じた。

感じながらも同期のみんなが出来うる限りの中で、努力して頑張っていて、ワークショップでみんなのひととなりを知っていたし、みんなすごいな、というのが率直な感想であったし、とっても好きだ。

もとから漫画の型があったり、途中で漫画の型を見つけた人はSNSも含めてぐんと伸びている印象だった。

あと、これ、とても顕著だったけど、伸びてる人はみんな、提出が早かったね。これは、かなり、差があった。ボクはなんとかいつも締め切りギリギリまでに提出していたけども、ほんとは途中から、一週間前には提出してやる!という気持ちでいたけど無理だった。そして今後のボクの課題とも言える。

同期はライバルでもあり、そして、心の中でこっそり応援している大好きな漫画家さんというか。仲間がいたから頑張れたところもあるし、ありがたかった。みんなの作品を読めたことも、幸せだなと思った。

まとめ

という感じで、マンガ専科を最後まで終えることができました。4期はコロナの影響もあって、結局最初から最後まで直接会うことができなくて、先日、初めて簡単な懇親会をすることができました。

みんなに会えて嬉しかった。

これからみんながどんな活躍をしていくかを見守りつつ、自分ができることをしっかり見つめて前へと歩んでいこうと思います。

コルクラボマンガ専科4期に携わってくれた全ての人へ

本当にありがとうございました



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