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一杯の珈琲

毎週、同じクライアントをアポイントに連れ出す。その後、モーニングティーを取るべくカフェに入るのがルーティンだ。

最近、訳あって、その際に寄る店を変えた。元々、このクライアントはコーヒーは好きなのだけど、オーダーしたスモールサイズでも飲み切ることは稀。それが、カフェを変えてからはほぼ毎回キレイに飲み干すようになった。

何がどう変わったのかを少し観察してみたら、面白いことに気がついた。

彼のコーヒーを取る手が進む時は、毎回、同じ若い女性のバリスタがコーヒーを淹れている。彼がコーヒーを残す日は、他のバリスタがいる日だった。

一昨日、彼女が作ったコーヒーを飲み干したクライアントは、ソーサーにカップを戻しながら「Great coffee」と独りごちた。的確に物事を判断しにくい障害を抱える彼がはっきりそう言った。飲み終えた彼は、満足気な表情を隠さない。お節介かなとも思ったけど、バリスタの彼女にそのことを伝えずにはいられなかった。
彼女は、はにかみながら言う。
「そんなことを言ってもらえて、本当に嬉しいわ。ありがとう。You made my day.」
「No worries but you also made his day by your beautiful coffee. 君が作るコーヒーの時は、特に美味しそうに飲むんだよ。ほら見て、とてもハッピーそうでしょ」。
僕らの視線の先には、人懐っこい笑顔でこちらに手を振るクライアントの姿。

そんな彼を始めとしたクライアントの幸せそうな顔を見るにつけて思う。今回のように、小さなハピネスを与えあうことが社会全体の大きなハピネスに繋がるのだと。地位や肩書きなんて関係ないし、自己顕示もほどほどにして、各々がそこかしこにある小さな幸せに気づき、それを少しでも膨らませて周りに繋いでいく。

そんな時、自分を何も大きく見せる必要もない。自分がもっと幸せになりたいなら、その方法とやらを大枚叩いて他人から教わるなんて馬鹿げてる。そこかしこに潜んでいる自分を変えられるネタや機会に気付けるように心がけてればいい。そうやって周りも幸せになっていく。

今日もクライアントは、彼のペースでコーヒーを飲み干した。彼のささやかなコーヒータイムを見守りながら、さぁ、この後、どんな小さな幸せが僕を待っているかなーなんて思えること自体がささやかな幸せなんだ。そう思うと、毎日あくせく働かなきゃいけない生活だって惨めには感じない。もう少しまとまった大きさの幸せは必ずやどっかで待っているはずだ。

一杯のコーヒーが気づかせてくれた幸福論。少しは誰かに響くといいのだが。

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