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イサム・ノグチ庭園美術館ー香川県牟礼町       



イサム・ノグチ庭園美術館を歩く

香川県牟礼町にあるイサム・ノグチ庭園美術館は
案内の人と一緒に歩きます。
見学するには予約が必要です。
サイトにリンクできないので(リンクするには財団の許可が必要)
興味のある方は「牟礼町 イサム・ノグチ庭園美術館」で
検索してください。
グーグル先生が即座に教えてくれます。
館内を歩き始める前にガイドさんから、完成した作品にはサインがありそれを探してくださいと言われます。
覗き込んだり見上げたりと、それぞれ楽しみながら探します。
その後、完成か未完成かはイサムの胸の中にあると言われてしまいました。
館内は撮影禁止ですが、入ってすぐの石柱とその間にある鉄製の土台だけ撮影できます。
この鉄製の土台は赤坂の草月会館の石庭を作るときに使ったものだそうです。


背後に石壁サークル

生活感のないイサム家

ここにはイサム・ノグチが暮らしたイサム家があります。
丸亀の豪商の屋敷を移築したものです。
居間には立派な床の間があり、彼の写真が飾られていました。
この家のどこかに台所、浴室、手洗いがあるのでしょうか。
玄関から続く土間までしか入れなかったのでわかりませんでした。
彼はこの家で食事したり、入浴したりしたのでしょうか。
見渡す限り、生活感は皆無で、イサム・ノグチの作品の一部でした。

イサム・ノグチを知った日

私が初めてイサム・ノグチを知ったのは40年ほど前です。
照明器具を探しに電気店に行ったところ、彼のAKARIがありました。
和紙と竹ひごで作られたものです。
和紙ごしの柔らかい光がとても美しいと感じました。
なぜイサム・ノグチがAKARIシリーズを制作したのかがわかるサイトがあります。

1951年、長良川の鵜飼見物のため岐阜を訪問したイサム・ノグチに、当時の市長が戦後低迷した提灯産業の活性化のために協力を求めた。提灯工場(現・株式会社オゼキ)を見学し、製作工程や材料について理解したその晩、さっそくデザインを起こす。同年の秋にも岐阜を訪れ10数種類ほどの試作をおこない、そのひとつを畳んで封筒に入れ、嬉しそうに友人のバックミンスター・フラーに送ったという。その後も度々岐阜に向かい新作に取り組んだ。生涯制作した AKARI は200種類以上にのぼる。

https://www.d-department.com/item/AKARI.html

太陽と月の商標

AKARIシリーズの和紙には、ロゴマークとサインが入っています。
AKARIを日本語にすると明かりになり、漢字を分解すると
日と月になり、それをデザイン化したものです。

明(あかり)は、日と月を組み合わせた漢字であることから、ロゴマークは太陽を示す正円と三日月を並べたデザインにしている。パッケージデザインは、イサム・ノグチの友人、亀倉雄策が手がけた。

https://www.d-department.com/item/AKARI.html


三宅一生とイサム・ノグチ

案内の女性はイッセイ・ミヤケのPLEATS PLEASEのトップスを着ていました。
おしゃれな人だなと思いましたが、三宅一生とイサム・ノグチの関係を知りませんでした。

三宅一生は広島市内に架けられたイサム・ノグチの作品、二つの橋の欄干を見て初めてデザインを意識したそうです。

庭園美術館のサイトや案内のフライヤーにも三宅一生の寄せ書きがあります。
また庭園美術館の写真集の企画・監修も三宅一生です。

作庭家イサム・ノグチと牟礼町の石工さん

龍安寺(臨済宗)の石庭と砂紋は有名ですね。
流れ紋、さざなみ紋、青海波など様々な紋様で石庭がしつらえてあります。
禅僧の修行の一つに砂紋を描くと聞いたことがあります。
石庭が見たくなると京都に行きます。
本堂前の板張りの廊下に座り、石に生えた苔や砂紋を観るのが好きです。

イサム・ノグチ庭園美術館には石彫作品とそれらを配置した地面に、うっすらと箒でまっすぐに砂紋のようなものが描かれています。
見学者が帰ると、広大な敷地にまたほうきで線を引く作業は大変な苦労だと思います。
石を積み上げた塀を巡らし、石彫作品が点在し、小高い丘から水の流れを表した小石が敷き詰められています。
イサム・ノグチは偉大な作庭家でもあります。
彼と彼の作品を支え続ける牟礼町の関係者の皆さんもまた偉大だと思います。
帰り際、工房から石を彫る音が聞こえてきました。


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