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生き辛さには「サヨナラ」じゃなくて「またね」

コロナでパニック気味な世に一石を投じたくて
不都合な現実や、不安を否定していた自分と向き合った
ポエムを公開します。よかったらnote読んでみて下さい。

ポエムて、分かりずらいし 
難解なイメージが強いかもしれません。
そこで、伝えたいメッセージと構成を初めにまとめました。

「解説なんて野暮ったいや!」と感じる方はスルーしてポエム本体と
会話してみて欲しいです。美術館とか、デザイン苦手な人は、
次の構成を読んでみてから「こんなもんか〜」と遊んでみて欲しいです。

構成:
辛い現実やメンタル削られる日常=幼少期
不都合な現実を直視して、変容する内面=大人へ
幼少期⇨大人になる過程で失う感情について=郷愁
幼少期の生きづらさへの再定義=最後に

メッセージ:
生きづらさ感じまくっている若者て、結構いると思うんですよね。
だって、Twitterみていたら、就活に絶望していたり、両親に不満があったり、トイレットペーパー取るおじさんにキレてたり、みんななんか怒ってる。(自分もそういう自分います)

「こんなはずじゃないのに!」「こんな現実なんて大嫌いだ!」
みたいな声が聞こえてくる気がします。

それらの不安や不満に対して、個人的には共感できる部分も多々あります。だけれども、今回のポエムでは、それら不満の中に「唯一無二の自分」に繋がる鍵があるのでは?という問いかけをしたいです。

不満はマイナスに終わらせてしまうと、メンタル削られるだけですが、掘り下げると、プラスに転じます。最悪のクレーマーは最強の応援者になりうるのと同じ構造です。(シェアハウスを2年程やっていると、極稀に道場破りみたいな人が来るのですが、7時間ぐらい夜通し掘り下げると、最終的にはまた来てくれるユーザーになってくれたりします。)

不満を感じた自分にこそ、掛け替えのない宝物を教えてくれているんじゃないのー?という切り口で綴りました。伝わりずらい部分も多々あると思いますが、まあ愛嬌ということで、どうぞよろしくお願いします。


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【幼少期】
生きづらさを感じている自分=この場に存在しちゃイケナイ
そう思っていた。

溶け込めず、周りから浮いてしまう。
疎外感に苦しみ、どうしようもなく辛い。

弱さや苦手、出来ない事があっちゃあ、
誰も受け入れてくれやしないでしょ?そう思い込んでいた、幼少期。

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【大人へ】
大人の階段を登る=問題と向き合い、自分なりの答えを出す
そう識(し)った。


自分を作ってくれた人たちと話した。ご先祖様や父母、弟、共同創業者、運営メンバー、住人、ゲスト、応援団の方々、仕事先の皆さん、過去の友達たち、そして裏切った方。

するとどうだ!
死にたいぐらいに 深く強く否定し続けてきた自分自身さえ
段々と許し、受け入れられる様な気がしてきた。

こんなダメな自分でいても いいのかもな…。
こんな弱くみっともない自分が生きていても いのかもな…。
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【郷愁】
するとどうしたことか!
今度は孤独や寂しさ、生きづらさを感じていた自分が
「い・な・く・なって」しまう様じゃないか。

ずっと側にいた絶望が居なくなってしまう。
なんだか寂しい。いや、心底寂しいのだ。


「ダメや」そう否定していた自分は
十二分に体験したかった尊い自分だったのかもな。

生きづらさ=「NG」 ではなく
生きづらさ=「自分の一部」 なのだ。
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【最後に…】
生きづらいと感じている、全ての若者へ

その不都合な現実は
案外悪いものじゃないかもしれない。
憎たらしくて、死にたくなる様な日常は
実は掛け替えのない日々かもしれない。

もしかしたら、唯一無二の自分を教えてくれているのかもしれない。

生きづらさに「サヨナラ」本当にしなきゃなのかな?
生きづらさを抱き、希望に胸を焦がし
泥臭く生きて、自分自身そのまんまを。大丈夫、きっと



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ご精読ありがとうございましたー。
絶望とか、不安てダメなものだーて否定しがちなのですが、
完全にいなくなったらなったで、寂しいなーという着想から、じゃあ、不安とかの存在意義て一体何なんだ?とアレコレ考えてみて、ああそうか、希望をより映えるために必要だったり、生きづらさそのものが、その人の才能や個性についてのヒントを出してくれてるんじゃねー?という発想に至りました。自分自身の等身大そのまんまを、泥臭く生きていれば、世の中はコロナコロナで騒がしいですが、きっと大丈夫な気がします。表現するのて楽しいけど、伝わるようにするのって難しいですね。おわり

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