嫌われる勇気(本要約)

3、4年ほど前に買った本で、何周か読み返しているけど、もう一度読んでみようと思ったら忘れていること、気が尽かされることがたくさんあって、アウトプットしていく。

アドラー心理学は常識へのアンチテーゼばかり

原因論の否定(目的論)

❌引きこもりの人は不安だから外に出られない
⭕️外に出たくないから、不安という感情を作り出している

❌怒りに駆られて大声を出した
⭕️大声を出してより安直な手段で相手を屈服させようとするために、怒りという感情を捏造した

ライフスタイル

今、あなたが不幸なのは自らの手で「不幸であること」を選んだから
不幸であることによって何らかの利益があると判断したから
→かわいそうに扱われる 面倒見てもらえる とか

好きな男性に会うと赤面してしまうのは、赤面という症状を必要としているから
→「赤面症が治れば私だって・・・」と可能性の中に生きることができる

自分のことが嫌いなのは「自分を好きにならないでおこう」と決心しているから
→他者との関係の中で傷つきたくないから、自分の短所を見つけて自分のことを嫌いになって、対人関係に踏み出さない人間になればいい

自分が変わらないのは「変わらない」と言う決心を下している。その方がメリットがあるから
→変わったらどうなるのか先行きが見えないし、色々不満はあってもこのままが楽で安心

トラウマの否定

もしトラウマのせいでと考えるならば、人生は決定論的になる。もうあなたの人生は全て決まっていることになる。どんな経験もそれ自体は成功の原因でも失敗の原因でもない。人生は自分の経験によって決定されるのではなくて、経験に与える意味(解釈)によって自らを決定する。

❌親に虐待を受けたから社会に適合できない

人の悩みは全て対人関係

我々を苦しめる劣等感は「客観的な事実」ではなく、「主観的な解釈」によるもの
主観は自分の手で選択可能である

劣等感:「私は学歴が低い」
  →「だからこそ他人の何倍も努力しよう」と考えることができる
劣等コンプレックス:「私は学歴が低いから、成功できない」
  →言い訳にしだす

劣等コンプレックスは見かけの因果律を作っている

自慢をする人は、劣等感を感じているから
劣等感が強いからこそ、自分が優れていることを、ことさら誇示しようとする。そうでもしないと、周囲の人は自分を認めてくれない、と恐れている

不幸自慢も同様で、自らの不幸を武器に相手を支配しようとしている


健全な劣等感とは他者との比較ではなくて、「理想の自分」との比較から生まれる


対人関係の軸に「競争」があると、人は対人関係の悩みから逃れられず、不幸から逃れることはできない
競争によって勝ち負けを意識し、そこから相手を「敵」とみなす
 →A君は名門大学に入った、B君はあの大企業に就職した、C君はあんなに綺麗な女性と付き合っている。それに比べて自分なんて・・・
いつの間にか、他者全般を、世界全体を敵とみなすようになる

他者の幸福を心から祝福できないのは「私の負け」と感じるから


→「人々は私の仲間だ」と実感できれば世界の見え方は変わる

人生のタスク

行動面の目標
①自立すること
②社会と調和して暮らせること

この行動を支える心理面の目標として
①私には能力がある という意識
②人々は私の仲間である という意識

これらは人生のタスクに向き合うことで達成できる
人生のタスクとは
「仕事のタスク」
「交友のタスク」
「愛のタスク」

様々な口実を設けて人生のタスクを回避しようとすることを「人生の嘘」という

他人からの承認を求めないこと

我々は他者の期待を満たすために生きているのではない
だから、他者の期待など満たす必要はない

他者からの承認を求めて、他者からの評価ばかり気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになる

他者もまた、あなたからの期待を満たすために生きているのではない

課題の分離

「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離していくこと、他者の課題には踏み込まないこと

あらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと(自分の課題に土足で踏み込まれること)で発生する

誰の課題か?:最終的にその結末を引き受けるのだ誰か?

子供が勉強しない→授業についていけなくなる、希望の学校に入れなくなるのは子供自身なので「勉強をするかどうか」は子供の課題


自分にとって最善の道を選ぶこと
 その選択によって他者がどのような評価を下すのか?は他者の課題であって、あなたにはどうすることもできない

親が進路に対して反対してきて、親が悲しんだとしても、その感情にどう折り合いをつけるかは親の課題である。親をどれだけ悲しませようと関係ない。

良好な対人関係を結ぶには、ある程度の距離が必要。密着すると向かい合って離せない。しかし、距離が遠すぎてもいけない。課題の分離は他者を遠ざけるための発想ではない。

承認欲求を否定

他者の期待を満たすように生きることは、他人のレールの上を走る様なもの
確かに楽ではある
逆に自分で道を決めるなら「いかに生きるか」という迷いが生じてくる

結局、誰からも嫌われたくないだけ

全員から嫌われないように生きることは無理
自由とは他者から嫌われること
    他者に嫌われることを恐れないこと

他者の評価を気にせず、嫌われることを恐れず、承認されないかもしれないというコストを支払わない限り、自分の生き方を貫くことはできない


❌父親に殴られたから、父親との関係が悪くなった
⭕️父親との関係をよくしたくないために、殴られた記憶を持ち出していた
 →自分の人生がうまくいかないのは父親のせいだ、と言い訳できる
  可能性の中に生きられる

過去は変えられない
だからこそ、目的論で考えることで関係修復のカードは自分が握っていることになる

多くの人は対人関係のカードは他人が握っていると思っている
だからこそ「あの人は自分のことをどう思っているんだろう?」と気になる

共同体感覚

対人関係のゴール
課題の分離は入り口に過ぎない

他者を仲間だとみなし、、そこに自分の居場所があると感じられることを、共同体感覚という

他者のことを敵とみなしていたら、劣等コンプレックスや復讐につながる

共同体とは家庭や職場、地域社会だけではなく、国家・人類・未来・過去・動植物・無生物全部が含まれる

社会の最小単位は「私とあなた」

ここに所属している感覚を持つ
そして、より大きな共同体に所属している感覚を持てると良い

対人関係で困ったときは「より大きな共同体の声を聞く」
例えば、学校でいじめがあれば、「学校」という共同体の枠でしか考えられていない。「人間社会」という共同体で考えればあなたも教師もいじめっ子も対等の人間である。


所属の感覚は「私は何を与えられるか?」で得られる

横の関係

人を叱ってはいけないし、褒めてもいけない

「よくできましたね」と褒めるのは相手を下に見ている感覚からきている
その背後にある目的は操作
縦の関係になっている

劣等感も縦の関係からくる

まずは誰かと横の関係を築けるようになることが大切

横の関係に基づく援助を「勇気づけ」という
勇気づけは他者を評価しない
「ありがとう」「助かったよ」と感謝やお礼の言葉を伝える

人は自分に価値があると思えた時に勇気が持てる、貢献感

存在レベルの価値

行為のレベルではなくて存在のレベルでの価値を感じられると良い
・危篤状態の家族(生きてて良かった←存在レベルの価値)
・ありのままの我が子を誰とも比べることなく、ありのままに見て、そこにいれくれることを喜び、感謝する。理想像から減点するのではなく、ゼロの地点から出発する。

今ここ、を真剣に生きる

「特別によくあろう」としなくて良い
普通でいい

「今ここ」を大切にする
未来や過去は考えない
過去に何があったか、は「今ここ」とはなんら関係もないし、
未来がどうであるか、は「今ここ」で考える問題ではない

目標もなくていい

今を充実して生きることを大切にする

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?