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感想「アイアム・ア・コメディアン」

ウーマンラッシュアワー村本大輔の3年間を追ったドキュメンタリー映画「アイアム・ア・コメディアン」の感想です。
感想ではありますが、過度に映画そのものの内容には触れず、観て考えたこと、思い出したことを中心に書きます。それでもある程度のネタバレはありますのでご注意ください。
村本大輔については町山智浩の番組に出たことをきっかけにAbemaの彼の番組を見たり、youtubeを見たりして、今回の映画も楽しみでした。
僕の弟のことや爆笑問題太田光を絡めて書きます。


今日は弟の夢を見た
実家の台所にチョコレートや薄力粉が用意されていて、それを私は「ああ、弟がケーキか何か作っているのだな」と思ったのだが、弟本人の姿がない
私は自分の部屋に戻り、暫くしてから何か不安な気持ちになって弟の名前を呼んだが、代わりに母親の声で「(弟)、帰ってきてるの?」と返事があり、そこで目が覚めた

こんな具合に、弟に関しての夢を見る時、決まって弟そのものは現れない。
しかし、弟が亡くなって10年以上経つ今でも、夢の中では必ず生きてる前提で話が進む。

弟は中卒である。私の周りで中卒なのは彼だけだ。
だから映画の中で村本大輔が「俺は中卒で〜」と話をしだすと、その度に弟のことを考えてしまう。

弟が亡くなってから、弟と自分の違いを考えるようになった。
同じ親から生まれ、同じ家で同じ飯を食い同じアニメを見ていたのに、何故弟は自殺して何故私は生き続けているのだろう。

私は、私が「お笑い」が好きだから、弟と比べて幾分人生を軽やかに過ごせているのでないか、と仮定した。

人生にはユーモアが必要だ。お笑い芸人はコンプレックスや失敗を全て笑いに変える。
彼らを見て僕も又自分のダメな部分を笑うことができる。
人生にはユーモアが必要だ。弟は自分の状況を笑い飛ばせなかった。参考にするお笑い芸人がいなかった。だから死んだのだと、たまに思う。

村本大輔は父が亡くなった翌日も舞台に立ち、父が亡くなる直前のエピソードを笑いにしていた。
又、亡くなる前に癌を患いさらには人工肛門になった父が洒落の効いたLINEを送ってきたこともネタにしていた。
僕はそれを泣きながら笑った。
ああ、やっぱり弟に足りないのはユーモアじゃないか!やっぱりそうだ!と。

ステージを降りた村本大輔は酒を飲みながら静かに泣き、階段を上りながら「アイアムアコメディアン、アイアムアコメディアン」と呟く。

弟が亡くなった時直後に後輩に「弟が自殺した」と話したら、後輩は「ええ!?首吊りですか!?」とまだ自殺方法も説明してないのに首吊りと決めつけて、わざわざ両手でロープに首を掛ける仕草までつけ足していた。
私は「いや間違ってないけど!全ての自殺=首吊りじゃないから!」と笑った。

人生には絶対的にユーモアが必要だ。
爆笑問題、太田光の「芸人人語」で岡真史の話が出てくる。
岡真史は12歳で自殺し、彼の部屋に残されていた詩集が「僕は12歳」というタイトルで出版されている。僕も中学生の時に読み、同年代で何故ここまで素晴らしい言葉が使えるのだ、と驚いた記憶がある。
太田光も若い時に「僕は12歳」を読んで衝撃を受け、後に岡真史の父である小説家の高 史明と対談している。
高史明は「今は何か、死んだ息子と会話をしているような気がする。彼は今笑っているのではないか、いい気味だ、みたいな」と語った。
太田は「真史さんの死を、笑えますか?」と聞く。高は「私たちは笑うことはできない」と答える。太田は続けて「じゃあ、僕は真史さんのことを笑ってもいいですか」と聞くと、高がこう答える。
「はい、笑ってやってください」

私が芸人ならば徹底的に「自殺」をネタにジョークを飛ばしまくる。
しかし私にはそんな度胸も覚悟もなく、自分の中で妄想するだけだ。

村本大輔はアメリカの小さなステージに立ってネタを披露し「昔大阪のこんな場所でネタやってましたよ、だからもう一回通るだけです。やらないか、もう一回通るか、それだけです。」と言った。
彼はロマンチストでナルシストだ。そして笑い・ユーモアの重要性をステージに立ちながら身をもって体感し、又覚悟している。それが羨ましいし、彼に憧れを持つことができるならば、まだ私の中にユーモアが残っていて、それならまだ生き続けられるのだと思う。




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