熊野寮公式サイトの変遷
2001年からあるアーカイブサイトWayback Machineより、昔の熊野寮のサイトを見つけたので漁ってみよう。寮の広報活動とインターネット技術の発展を眺めてみる。
本記事にリンクを貼るが、当時の古い作りのサイトが多いので、閲覧する場合はスマホよりPCのほうが見やすい。また、上記アーカイブは応答がモッサリしてるので要注意だ。
aogarasu.hp.infoseek時代
おそらく熊野寮の当時の学生有志が立ち上げた、ほぼ個人サイトのような形式だ。
2001年に立ち上げられ、他大の寮との交流がきっかけの一つだったようだ。リンク先には山形大学学寮、金沢大学北溟寮など記載されており、今はもう閉寮となった場所も多い。
なかでも、Nさんのまとめられた「熊野寮史」は開寮の1965年から様々な出来事が記録されており、貴重な資料だ。五十周年記念誌にある年表の大本であり、Nさんははこれを加筆修正して記念誌に掲載された。サイトには、86-02年までの寮祭の内容、広告出店元、各年の寮祭スローガンも記載されている。
寮祭の企画内容に関して、五十周年記念誌だと欠落している86, 88, 91, 92, 94, 95, 96年の情報がある。また、新入寮生に向けたらしきFAQもある。
実際の入寮面接はこんなに高圧的でないので怖がらないで欲しい。合否決定というか寮の説明がメインで、だいたいいつも倍率1倍を切る。近年は人気らしいので隔世の感がある。当時の、寮内部のインターネット環境に関しても記載がある。
光ファイバー以前のADSL時代は、覚えてる限り凝った作りのサイトは少なかった。このちょっと前まで、阿部寛のサイトみたいな素朴なサイトが一般的だったと思う。ただ、誰でも書き込める掲示板「あじーる de びらーる」も実装されており、挑戦心を感じる。また、2002年の寮祭企画に「寮内ネットワークゲーム大会」とあり、この頃にはネット環境がかなり一般的になりだしたことが推測される。サイトに公式の記載はないが、有志によってしっかり編纂されていた。
当時の写真
寮のサイトのリンク先一覧には、個人サイトらしきNon-Frame京大-熊野寮 潜入記にもつながっている。2002年4月10日の寮の写真が残されている。寮生の付き添いのもと撮影されたらしい。
「マッスルドッキング」のビラが一面に貼られている。知らない人が見たら意味不明だが、2001年の寮祭スローガンと思われる。11月の寮祭から5か月近く張ったままにしていたのかしら。
東のグラウンド付近ではご近所の少年たちが遊んでいる。
当時の雰囲気が伝わってくる。彼らも今頃は30代のいい大人だろうか。
kumano-hppt.hp.infoseek.co.jp時代
綺麗に代替わりしているわけでなく、前期サイトと公開時期は重複している。2007年頃の新入寮生向け案内が記載されているので、その頃のサイトと思われる。写真館もあるがアーカイブサイトでは見れない。ウーム残念。
そういえば、3月は新入生の入寮面接の時期だ。私の経験だと当時、入寮前に入手できる情報と言えば、熊野寮で検索しても「見た目がボロそう」という程度しかなかった。いちおう、2007年頃はニコニコ動画β時代で、通信容量の向上により徐々に動画コンテンツが拡充されだしたはずだが、寮の情報はネットにあまりなかった。しかも、合格後に送付される大学の公式書類は、異様に薄く何も分からなかった記憶がある。合格手続きの日に入手できる、学生手作りの入寮パンフがほぼすべてだった。今思えば、学生の自主性を重んじる姿勢の現れとも言えなくもない。近年は、ネット情報も入寮パンフも内容が充実している。新入生にとって、かなり親切になっている気がする。いっぽうで、誰でも情報発信出来る時代だからこそ、噂に左右されぬよう、自身の脚と目を使って知る事は大事だと思う。
www.kumano-ryo.com時代
2000年代後期、URLが変わり雰囲気が明るくなった。CSSの利用か、リンクなども華やかだ。
掲示板も存続し、同窓会向けページもある。とはいえ、当時はmixiのコミュニティのほうがOP含めて寮生の交流は活発だった印象がある。私も正直、公式サイトにはあまりアクセスしなかった。また、熊野寮のwikipwdia記事作成がmixiで呼びかけられたのが2007年のことだ。
また、2011年頃かな?大学設備として寮食堂にWiFiが導入されたらしい。
最近は公式の通信インフラが整ってきて素晴らしい。話がずれるが、2010年頃まではスマホよりガラケーのユーザが多かったと思う。ネットといえばPCと有線だった。それまでは、LANケーブルの整理など学生有志が寮内のネット環境を整えていた。PCすら持っていない貧乏学生は、吉田南キャンパスの情報メディアセンターにある無料PCで履修登録などしていた。当時でも、そこまでお金のない人は珍しかったが「誰でも通信端末を持つのが当然」という価値観こそむしろ偏見かも。
寮生向けの掲示板なども、認証機能が整備されたようだ。
誰もが誰もにつながれる環境から、コミュニティ内での情報共有へ志向が変遷したことがわかる。
jimdofree.com時代
2010年代以降は、光ファイバーによる高速大容量通信の普及、スマホの登場、SNSの台頭、youtubeなどプラットフォームの増加により、広報活動の幅が広がった。例えば、2019年頃から寮祭企画アドベントカレンダーにて、各個人のブログなどを公開しだしている。クラウドファウンディングを寮祭の資金確保に用いだしたのは2021年頃からだ。寮の公式サイトもかなり洗練されている。情報発信がアクティブになったと思う。
おそらく、コロナ禍でリモート授業が広まりだした頃は400人近くが寮で同時に授業を受けているので、通信負荷も高く大変だったんじゃないだろうか。いっぽうで、寮内の人間関係が濃密になったきっかけとも聞いているので、何がどう影響するか分からないものだ。
2007年に、mixiの有志によって書かれたwikipedia記事に関しても、一つの企画になっている。
いつからか、wikipediaのように誰でも編集可能な場は主張対立が生じがちになった。この現象は寮に限った話ではない。その昔、wikipediaのラッコの項目が要出典だらけになっていたことを知っている人はどれくらいいるだろう。
まとめ
寮のサイトの変遷をまとめた。通信容量の高速化や表現の多様化にあわせた、コンテンツの柔軟な変容が見て取れた。00年代初期はhtmlのテキストデータを中心に、00年代中期から画像情報もふんだんに用い、また10年代からは各種SNSが利用されだした。広報活動の対象は新入生、在寮生、卒寮生また寮外生や他大の寮、学外の方々などと多岐にわたる。サイバー空間上でも連綿と何かが続いているのは、寮という時間と空間を共有する場があってこそなのだろう。
昔は(今も?)雑記帳という形で、事務室や談話室で交換日記のようにアナログな交流が寮内にあった。ブログやSNSの登場で、交流の形は内部だけでなく外部に開かれた形に変容している。いっぽうで、編集合戦など衝突も増えている。
近年感じるのは、OP同士の交流方法がメールやmixiやFacebook、LINE、インスタ、X、Slack、discordなど、生じては消えていく速度が加速されているように思える。全世代がつながるには、アナログだが名簿とハガキと電話が結局一番強いのかもしれない。逆に。
寮の歴史をまとめたページに、編集後記が残されている。
熊野寮史は京都大学新聞や寮内にあった資料をまとめた、最初期のページの力作コンテンツだ。皆もこういう面白いものを掘り出してみよう。
ただいかんせん、アーカイブサイトWayback Machineは情報量が多いがレスポンスが遅くて検索性も低い。ウェブスクレイピングなど得意な方がいらっしゃれば、もっといい感じに掘り出せるのでぜひ挑戦して欲しい。2065年の開寮百周年でも利用できる、時代を超えて歴史をふり返るために有用な資料だ。お大事になすってください。
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