言えない嫁へのリスペクト
嫁の有り難み。
歯ブラシが新しいのに変わっている。
食器洗い用の洗剤が満タンになっている。
コンタクトの洗浄液の予備が常にある。
ぜーんぶ、嫁がやってくれている。
それをさも当たり前かのように使っている私。
それがどれだけ有難いことなのか。
40を目前にして、ようやく分かってきたような気がする。
娘が産まれてから、嫁は明らかに変わった。
どちらかというと、ダラシないタイプだった。
それが180度変わったといっても過言ではない。
変わったのは、自分の人生ではなく娘の人生を1番に考えて行動するようになったこと。
お金も時間も自分より何より娘を優先。
そんな中でも、こんな私の事まで考えて行動してくれる嫁。
とてもじゃないけど、真似できない。
それなのに、私と言えば自分の欲求が常に優先されている現状。
「尊敬する人は誰かいる?」
その質問に対して明確に答えを出した事はなかった。
でも、よく考えればその人は、自分のすぐ身近に存在していたのだ。
今もし嫁がいなくなったらどうなるんだろう。
考えてみるだけでもゾッとする。
そりゃあ自分を犠牲にしているんだから、ストレスも溜まるだろう。
愚痴りたいことも山程あるだろう。
普通に考えれば分かることだ。
普段何気なく生活しているが、それは嫁の存在があってのもの。
つくづく思う。
当たり前は当たり前じゃないってこと。
本人には恥ずかしくてとても言えやしないが、私の尊敬する人は「嫁」なのだ。
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