マガジンのカバー画像

港町・函館 今と昔

49
天然の良港をいだく函館。 高田屋嘉兵衛の千石船が出入りし、ペリー提督が水と薪をもとめて開港をせまり、戊辰戦争では榎本武揚の艦隊が官軍と交戦するなど歴史を刻んできた。 開港160年…
運営しているクリエイター

#マリア

幼子イエスをいだくマリア

函館山のふもと 観光客に人気がある八幡坂の坂上 ここで、すやすやと眠るイエスをいだく 慈愛にみちたマリア像を見あげると こころ安らかになる 箱館戦争の傷跡がまだ生々しい1878(明治11)年 シャルトル聖パウロ修道女会の修道女3人が フランスから函館にやってきた 休む間もなく教育と福祉の奉仕を始めた。 先ずは、孤児をうけいれ孤児院、授産所を開設 この授産所で針仕事の手ほどきをし この身振り手振りの 西洋裁縫教育こそが 白百合学園の源となった この小さなマリア像は 函

神父の告白

フィリップ・グロードさん、 なぜ、神父になられたのか。 僕が投げたこの直球に ぽろりと本音を もらしたことがある。 フランス西部のブルジョアの生まれだが、 子供のころは手がつけられない 悪がきであった神父。 腕白で悪戯ばかりして学校を退学になり、 家で勉強して バカロレア(大学入学資格試験)に受かった。 元の学校の先生に、神父になりたいと言ったら、 おまえのような奴は、暴力団に入るか、 神父になるしかないだろう、と。 28歳のときに、フランスから函館に来て 半世紀あまり