見出し画像

よさこい:人生の半分を費やす価値のある趣味⑯ ~思い~

2019年、新たな空〜Qou〜になります。
が、その前に、僕のよさこいの対する考え方を書いておこうと思います。
あくまで個人的見解なので、そのあたりは大目に見てください。

初めに

以前の記事でよさこいを始めるきっかけを書いたのですが、そもそもは、自分が踊って楽しむ趣味として始めました。
しかし、すぐにそれは違うものへと変わりました。

もともと飽きっぽい自分の性格はよくわかっているのですが、おそらくあのまま代表にならず、いち踊り子として踊っていたならば、今頃はよさこいに人生をささげていなかったことと思います。
なぜなら、飽きていたからです。
踊りは楽しいです。
ただ…
やっぱり、与えられたものをやり続けるのは苦手で、自分なりに何かを生み出したい。
そのほうが、長続きするんですよ。
なので、今までも、自分で生み出す必要のない趣味はほとんどやめています。
もちろん、その道でもっとうまくなりたいと思うし、努力すればそれも可能なのかもしれません。
でも、それはどこまでいっても、新しいものではないんですよね。
生み出されてはいないんです。


苦労の分だけ…

BIG WAVEでチームの代表をやらせてもらうようになると、いろんなことを考えなきゃいけないし、いろんなことを知らなきゃいけない。
でも、それが楽しくて楽しくて!
自分の時間の多くをそれに費やすわけですし、それなりに苦労もありました。
でも、楽しいんです。
正直、苦労した分だけ報われるなんてことは全く言いません。
むしろ、報われないですよ(笑)
だって、趣味だからこそ良いですが、そこに費やした時間を時給計算したら、きっと50円ぐらいですよ。
いや、チームからは、お金をもらったことはないから0円か。
時には、一生懸命やったことが一瞬で無駄になります。

例えば、32カウントの振りを3日かけて考えたとします。
それを、メンバーに落としますよね。
でも「それ、難しいからできない」って言われて
「振り変更お願いします」
なんてことはよくあります。
さすがに、凹みますよね~
でも、また新たに考え、提供したときに喜んでもらえる。
これだけで楽しんですよ。
そうやって、報われない経験を積み重ねて、自分が進化していくんですもん。
ここで肝心なのが、メンバーが喜んでくれること。
このためにやっているからできるんです。
これが、自分が踊るためなら、できないんですよね~。
カッコつけてるわけでなく、そういう性格なんです。


他力本願

よさこいのチーム代表やってて、なおかつ振り付けもやってると、時々思うんですよね。
『あ~、自分以外の人の力で、自分が楽しんでるな~』
これは、自分が踊り子として踊っていない場合に限ってですが!

だって、自分がやりたいイメージの曲を作ってもらって、それに自分が好きなように振りをつけて、自分はそれを完璧に踊れなくてもメンバーには
あーだ、こうだ指導して、自分より上手く踊れるメンバーがいて、それを人前で披露し、喜んでもらえる。
それが自分の楽しみになる。
どうです?完璧に「他力本願」だと思いません?
メンバーいなかったら、僕は楽しむこともできないし、自分が思い描いてる踊りや表現を誰かに伝えることもできない。
存在すら必要ないかも(笑)

20年近く、それをやらせてもらってるって、ほんとにありがたいですよね。


イメージはわいてくる!

僕はもともと、ダンスをやっていたわけでもなく、体操を習ったわけでもないです。
ほんとに好きで始めたよさこいが、いつの間にやら、ライフワークとなり、お金がなかったから自分のチームの振付をやるようになり、そのうちありがたいことに他からも頼まれるようになりました。
もちろん、それを生業にしようとも思ってないですし、お金を儲けようなんてことは、考えていません。
だから、いつも振付をやらせてもらう時はドキドキですし、満足してもらえるか心配です。

僕の場合、振付は曲を聴いていると、頭の中で誰かが踊るイメージがわいてきます。
で、それを自分の体で表現しようとするのですが、僕が動けるレベルは大したことないので、なんとなくイメージで踊って、それをビデオに撮って、振り落としをやってました。
なので、本当はもっとこういう動きなんだけどと思うところもあり、自分は踊れないけど、イメージは一生懸命伝えます。
もしかしたら、僕がもっと踊れる人間なら、もっと素晴らしい振付ができたかもしれません。
とにかくイメージはわいてくるんです(わいてこないときもあるが…)
結構、踊り子たちは、言葉で伝えたことを形にしてくれるので、メンバーには感謝してます。

最近は、この僕のイメージを形にしてくれるアシスタントがいるので、本当に助かってます。
そのおかげで、以前にも増して僕は踊らなくなりましたが!
でも、そのほうがいいんですよ。
だって、どっちが伝わるかって、そのほうが絶対伝わりやすいんですもん。
僕のこうしてほしいという表現を完璧にできるアシスタントは、優秀すぎますが(笑)
アシスタントとして、やってもらうときに、踊りがうまいとか下手とかは当然うまいほうがいい、教えてもらう側から見て、ある程度あこがれてもらうことが大切です。
僕は、自分が得意な部分は何回も魅せます(笑)
でも、もっと大切なことは
・同じ価値観でよさこいを見ているか。
・求める表現の方向性が同じかどうか。

さらに贅沢を言うなら
・10伝えなくても3~4伝えたら9ぐらいはできる人。
☝ これって仕事でも同じですよね。

今、アシをしてくれている方は、3~4伝えたら15ぐらいで返してくれるので、ほんとにすごいなと思います。

最近、振付をやらせていただいたチームさんは、そのせいかすごく上達が早いです。


変化した思い。

空~Qou~を始めたころ、僕は賞を取ることが自分たちの存在を認めてもらう方法だと思っていました。
メンバーが楽しいかどうかって実はあんまり考えていなかったかもしれません。というより、評価されたらそれが喜びになるだろうと思っていました。
もちろん、それは間違っているわけではないのですが。
でも、僕はそれをやり続けることが苦しかった。
で、高知よさこいに参加することで、賞はよさこいの活動においてそんなに需要ではないんだと気づきました。
もちろん、高知のチームさんも賞を目指して頑張っているチームはたくさんあります。
高知よさこいにでる県外のチームさんも賞を目指しているチームさんはあります。
でも、僕が思っていたのとは逆だったんですよね。
賞を取るから有名になると思っていた時期がありました。
それも、正しいですし、必要です。

でも、本当は、そうじゃなくて
素晴らしい演舞をしているから。
お客さんが喜んでいるから。
賞がついてくるんです。
こんな簡単なことに10年気づきませんでした。

ここ五年ぐらい、僕は賞を目指そうと言ったことはないです。
いや、あるかもしれないが、それは賞が欲しいのではなく、それぐらいのレベルの演舞を当たり前のようにしてほしいという意味です。
どのチームよりも見ている人を楽しませる、喜ばせる演舞ができたら、賞は勝手についてきませんか?
仮に賞が取れなくても、そこまでお客さんの満足度が高ければ、これほどうれしいことはないじゃないですか。

20年近くよさこいをやっていると、それに対する思いや、考え方は当然変化していきます。
なので、今はこう思っていても5年後には、絶対賞を狙うとかいってるかもしれません(笑)
でも、今は今。

一人でも多くの方に演舞を見てもらい、その時間が有意義な時間だったと思ってもらえるような演舞を作りたいと思っています。


今回は、自分の思いを書かせていただきました。
2019年の話を書く前にどうしても挟んでおきたくて。
今回も読んでいただき、ありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?