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青春ジャック 止められるか、俺たちを2(感想:ネタバレなし)

清々しく感動して、心が動いて。
自分も「動きたい」と思った。

スクリーンで映画を観るのは年に5回もない。好きな俳優さんが出ているとか、すごく話題になっているとか、映画館に足を運ぶのはそんなとき。
そんな私が「舞台挨拶に井浦新さんが来る!」という至ってミーハーな理由で立川シネマシティ(4月1日)に行って。感動して居ても立っても居られない気分になって。読む用のアカウントでしかなかったnoteに、こうして文章を書いている。
びっくり。

ちなみに鑑賞前に仕入れた情報は「前作を観ていなくても楽しめる」というレビューだけで(2と銘打たれているから流石にその部分は気にした)「若松孝二監督」という、映画に詳しい人なら誰でも知っているような有名な監督さんについてのストーリーなのだろうという漠然とした認識。

面白かった!

スクリーンに映るのは、私が子供時代を過ごした昭和の世界。
今の時代では「不適切」と切って捨てられるような描写が、あたりまえの風景として存在していて、ひどく懐かしい気持ちになる。
あの頃の、昭和の時代の空気感。主人公を取り巻く、個性豊かな大人達との関係性。
中でも井浦新さん演じる若松監督は物凄く魅力的で。いったいどんな人物なのか、実在の「その人」にとても興味が湧いた。

雀卓を囲む大学生の部屋のブラウン管のテレビ。日航機墜落事故のニュース。あの当時、私はまだ小学校の低学年だったが新聞の紙面やニュースで見た映像は鮮烈に記憶している。
こうして書きながら思い返してみると、自分の成長過程での経験や感覚が、いつの間にか映画のストーリーと緩やかにシンクロしていたのかもしれない。
たくさん笑って、なんだか感動して。
映画が終わった時、私は井上青年の過ごした「長い夏休み」を一緒に体感したような気分になっていた。

実際の映画には巡る月日が描かれている。しかし若者たちのモラトリアムで曖昧な季節は、まるで終わりのない夏休みのように感じられた。
あらゆる安全の担保された環境下で、「大人」と「子供」の狭間で、何者でもなく存在することが許されていた。
壮大な夢がある、時間は贅沢にある、根拠のない自信もある。
それは自分の経験した「青春時代」と重なるものだった。

心が動いたのは、青年期の感覚が呼び覚まされたから。
「動きたい」と思ったのは、頭で考えるばかりで動こうとしていない現状に気が付いたから。

先に記した通り、本当に一切の情報を入れていなかったから、井上青年こそが「井上淳一監督」その人であるということすら知らぬままストーリーを追っていた。
映画が終盤に近付き「あれ? もしかして…」とピンときて、エンドロールでお名前を確認してようやく「なるほど」と合点がいった。(実際はレビューのどこかで目にしていたものの、あまりに無知だったため「情報」として認識されていなかったのかも)
だから終演後の舞台挨拶に立たれた井上監督の姿を拝見した時は「この方が…」と非常に感慨深い気持ちになった。

何者でもなかった青年は、映画監督としてそこ存在していた。
勇気を持って一歩を踏み出したその先。
とにかく「続ける」ということの大切さ、凄さ、尊さを痛感した。

夢を想い描いて、先ずは一歩。
1日、1週間、1ヶ月。1年、3年、20年…。
止めることなく続けて行けば、いつか自分なりの物語を綴れるだろうか。

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