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アルバニアの少年

 2016年6月13日、史上最弱とまで言われていたイタリア代表がユーロ(欧州選手権)で優勝候補の一角と目されていた強豪ベルギーにまさかの勝利を収めると、その興奮冷めやらぬ翌朝なのでみんなボールを無性に蹴りたかったんだろう。いつも息子が友達と遊んでいる自宅近くのダゼーリオという名の広場へ散歩に行くと、やはり想像した通り、いつもより遥かに多い数のイタリアの子供達がいて、他にもブラジル人やモロッコ人、それにアルバニアやルーマニアの少年たちもたくさん集っていた。

 そして、この日の広場に来ていたアルバニア人は皆が15、16歳。しかしこの国へ来たばかりでまだイタリア語がほとんどできないため、もちろん込み入った話はできなかったのだが、私の下手くそな英語と少しばかりの彼のイタリア語で言葉を交わしたのは、アルバニア出身の一人の少年(15歳)、名はアルバンくんという。


 この子は3歳の時に父親(当時32歳)を交通事故で亡くし、貧しい暮らしの中で母親とも生き別れになり、その日の広場に来ていた同い年の仲間たちと一緒に、つまり少年たちだけで、つい最近、イタリアへ入国したという。ただ、身寄りもないため滞在許可証はなかなか取れず、極めて苦しい生活を強いられている。

 そんな日常の中で、きっと異国での様々な難しい事柄や辛く悲しい母国での思い出を束の間でも忘れるためなのだろう、彼らはほぼ毎日のようにこのダゼーリオという名の広場へ、午前中に来てはボールを蹴っているのだという。


 なぜ午前中だけなのか。どうして午後には来れないのか。その理由は定かではない。尋ねてみようかとも思ったが、そこは赤の他人が立ち入ってはならぬ部分であることは明らかなので、想像するに留めておくことにした。彼ら「不法滞在者」たちがいかにして生き延びているのか、その実態を少なからず知っているからだ。

 そうしている間も、子供達のサッカーは続いている。
 イタリアの少年達はやはりここでも〝らしく〟実にイタリア的なサッカーで僅差の試合を繰り返している。


 ルーマニア人達は上手いだけでなく、球際ではモロに体ごと当たり敵を吹っ飛ばしている。しかし、いかんせん激し過ぎて他の者達との衝突もまた絶えないのだが。


 そして、アルバニアの少年達もまた同じように、それをたかが草サッカーでやるか? というほどの深いタックルでボールに食らいついていく。
 きっと心の中に溜まっている色んな思いをその右足や左足に込めているのだろう、彼らが放つシュートはとにかく強烈だ。

 するとそこへブラジル人たちが、続いてモロッコ人たちの集団も加わり、小さなサッカー場はボロボロのボールを抱えた少年たちで埋め尽くされていく。
 一見するととても収拾のつかない様子に思われるのだが、そこはやはりさすがは遊び方を知る王国ブラジルの少年たちが場を仕切り、とはいえ極めて適当だが程よい具合に試合が順に続いている。


 ブラジル対モロッコ、イタリア対ルーマニア・・・などと入れ替わり立ち替わりでゲームが続いている中、ふと見ると、順番待ちとなったアルバンくんが再び私の方へ向かって歩いてくる。そしてベンチで新聞を読んでいた私の隣に腰掛けては一生懸命、覚えたてのイタリア語に英語を交えながら話しかけてくる。


 日本のことを尋ねてみたり、イタリアへ来て以降の辛いことや嬉しい出来事をひとしきり語っていた彼は、何を思ったのだろう、突如として話すのを止めると、しばらくの間を置いてから、ベンチに座り地面に視線を落としたまま、その少年は小さな声でこう私に言った。

 「La vita è dura(人生って過酷だよね)」

 15歳の少年が、である。
 
 こちらが何も返せずにいると、アルバンくんは続けて、広場のサッカー場でブラジル人たちに遊ばれている私の息子を見つめながら、ここでも一生懸命、片言のイタリア語で呟くようにこう語りかけてきた。
 

「あの子は幸せだね。だって、ボール蹴ってる姿をお父さんに見てもらえるんだから」「僕も、僕のお父さんに今の僕を見てもらいたいなぁ・・・」

  彼の肩を抱き寄せてあげることしか私にはできなかった。

 その2日前の6月13日。彼の母国アルバニアの代表はそのサッカー史上初めてユーロ(欧州選手権)に出場し、同大会の初戦(対スイス)を終えていた。0−1で敗れたとはいえ、スコア通り惜敗、アルバニア代表の戦い方は実に見事であった。
 その話をすると、隣にいる15歳の彼は、母国の健闘に初めて少年らしい無邪気な笑顔を見せてくれた。

 そしてアルバニア代表は続く15日の第2戦で開催国フランスに敗れるも、19日には最後の対ルーマニアに勝利し、その名を堂々と大会の史に刻んで見せた。得失点差で惜しくも及ばず決勝トーナメントへの進出は叶わなかったとはいえ、きっとあのアルバンくんも、彼の仲間たちも、母国を代表する選手たちの奮闘を誇りに思っているに違いない。

 そのアルバニア代表といえば、右のSBを務めるエルセイド・ヒサイ (現ナポリ)もまた、過酷な幼少期を送っている。父親は彼がまだ2歳の時に、10人乗りなのに30人が乗り込んだゴムボートでアドリア海を渡りイタリアへ入国。フィレンツェで左官工としての職を得ると、請け負った工事現場がとある代理人の自宅であったことを機に、後にその代理人の計らいで2009年、15歳になっていた息子をイタリアへ呼び寄せると、夢であったフィオレンティーナ入りこそ果たせなかったものの、隣町エンポリの下部組織への入団を許され、ヒサイ少年はそこから一つずつ階段を上がり今日に至っている。
 
 6月14日のダゼーリオ広場、ベンチで私の隣に座っていたアルバンくんは、確かにこうも語っていた。
 「そのエルセイド・ヒサイが僕のアイドルなんだ」

 それから10日後。新聞を買いに行く道すがら、再び広場へ足を運んでみると、やはりいつもと同じように大勢の子供達がサッカーで遊んでいた。
 イタリアとブラジルの子供達による試合が終わり、次に始まったのは、あの19日のユーロと同じ、ルーマニア対アルバニア。だが、その日の広場に来ているのはまったく別のグループであるらしく、そこにアルバンくんの姿も、彼の仲間達の姿もなかった。
 
 あの子達は元気でいるのだろうか。毎日、午前中に必ず来ていると言っていたはずなのに。心配になり、しばらくあの14日に一緒に座ったベンチで待ってみたが、アルバンくん達が来ることはなかった。
 そして6月29日。今日もいつものように新聞を買いに行く道すがら再び広場へ足を運んでみたが、新聞を買った帰りにももう一度広場へ戻ってもみたのだが、残念ながらそこに彼らの姿はなかった。

 エルセイド・ヒサイがエンポリのユース(プリマベーラ)で頑張っていた当時の写真をアルバンくんにプレゼントしたかったのだが____。■
 
 

 【上半身裸でグラウンドにいるのがアルバニアの少年たち。ボール持っているのがアルバンくん】


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