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片耳で生きてきたこの22年間。

『ん?なに?なんて言ったの。。』

今まで何回言っただろうか。

あまり人には話したことがなかったが私は生まれながら真珠修正中耳炎という病気で後遺症として片耳が聞こえなかった。

この片耳という体を持って、今まで沢山苦労してきたが、片耳だけということだけのせいで苦労してきた、という考え方ではない。

私の考えは、
こうやって普通に生きていく人生はとても厳しくて、ただ挑戦することでもっと面白く、もっと充実した人生を歩むことができる!
と思っている。


病気=成功できない、ではない。

今まで苦労してきた事は、片耳のせいではない、という断言はできない。もちろん生活にもたくさん支障があった。

片耳ということで、友達の話をする時はもちろん聞こえる側の耳を傾けて話したり、バスや電車に乗る時も聞こえる側の方をまえにして生活している。障害者手帳も持っています。

ただ、片耳だからハンデとかあったとは思っていない。今まで国立の高校卒業し、大学中には1年間カナダに留学した。また、一人旅も計20以上の国に居合った。

もちろん、ここに行くまでにたくさんの努力をしたと言い切れる。留学を終え、英語を流暢にしゃべれるようになった時に、私は思った。

まず今、結果としてあるのは、英語という言語を使って世界的な価値観を考えだすことができることだ。世界的に国際的にコミニケーションをとってたくさんの国々の人と話し、友達もでき、その先の価値観を得ることができる。

思い返してみると、小中高と英語が好きで、中学校の時には、地元の英語暗唱大会で金賞とるほど英語にのめり込んでいた。

毎日の通学時間には片耳しか聞こえないが、両方イヤホンをつけていた。それはただ単に私が英語に集中するため他の音が聞きたくないと言う心理だと今では思っている。もちろん聞こえないが、かすかな耳の中の骨が振動するのがわかる。ただそれを聞いてるだけでも、聞こえていると実感していた。

留学中ももちろん会話だし、聞こえる方の耳で聞いていたり、たくさん自分では気づかないほどたくさんストレスを感じていたのかなと思っています。

ただ人には負けないくらいたくさんなことを経験してきた。

誰もできないでしょ。

考え方や旅行など普通の人間でも、ここまではいかないだろう、という所までいった。私が片耳? そんなのはどうでもいい

結果としてやったと言う実感。結果として経験が自分の手のひらにあるということが1番重要なことだ。


そこで、ゆたかさってなんだろう。。。

そして、このテーマ『ゆたかさ』ってなんだろうという事について考えた。

1つは、今まで私は、こうやって片耳でも普通に生活できる、基本的なところで幸せと感じること。

世界には、両耳が聞こえようと、貧しくてご飯も食べれない水も飲めない寝る場所がない、そういった国をたくさん見てきた。

だが、私たちは現に不自由な体でも、ある程度を幸せに生きている、と思っている。

また、『ゆたかさ』と言うのは繰り返されるものされるものだと思います。

ゆたかさは、繰り返される。

繰り返す』というのは考え方の繰り返すということ。
このようにゆたかさってなんだろう、とたくさんの人が重なって考える。

そうすることによって、その考えをたくさんの人が見てくれる。
その結果、そういった今の私たちみたいにゆたかになるし、
NPOなどの貧しい国のために動き始めることができる、という繰り返すと言う意味がある。

もちろん、私自身にとってのゆたかさ、気持ちが幸せになれる特別なひとときは、本を読んだりテレビを見たりする普通の事。

そういうのは、考えてみれば、たくさんの人の苦労があってからの私自身に還元されてるということだと思う。

ゆたかさってなんだろうと考えるこのコミュニティーこそが豊かさであって、幸せな世界になっていくものだと思っている。

お金やものが豊富にあることが豊かさの基準ではない。

今日はこんなところで。

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