魔星の直視ノウハウ実践⑤ 直視の理屈 ドラフト
こう考えることにした。
▼動いて見える掬い取り
リールの回転スピードと同調させて眼球を動かすと、リアルタイムで見た図柄がそのまま動いて見える。
押す周回では、図柄が上から落ちてくる様子が直前まで見えるため、見てから押した感覚を得られる。
※自分の場合この直視を毎回再現することが難しく、図柄が止まって見えてしまう場合がしばしばあるためこっちは今深掘りしない
▼完全静止して見える嵌め込み
静止してい見えているのは、眼球運動の終点の一瞬で発生している残像である。
眼球運動が止まり図柄が見えなくなったとき、最後の視覚情報が静止画の残像として目に焼き付く。瞬きによる残像現象と同じ原理だ。
どの範囲で見えていようが、その静止画は眼球運動の終点で発生した一瞬である。
最後の視覚情報、ということを認識しやすいのは高速で上〜下段まで目を動かすと見えるブロック直視。これも、直視が終わり視覚情報を失う直前の3コマが張り付いて見えているだけ。
上段図柄も見えているが、これは眼球が下段まで移動したときに見えている上段の景色であり、上段直視とは全くの別物である。
自分がよくやる上中段停止タイプの直視は、ブロック直視を中段でやめたものに近い。
終わり際の視覚情報がまとめて見えるということ自体が感覚的に分かりづらく、あたかも動かしている最中に見えている像だと錯覚してしまうことが最も厄介な問題。
▼掬い取りと嵌め込みの分類に紐づかないもう一つの分岐
もしかしたらそんなに大きな差なんてないのかもしれないが、図柄1つを追うかリールを追うかで見え方が変わる。
直視の目的意識によってピントを合わせる範囲と対象が変化しているように思える。
<リールを追う>
目的の図柄を中段に捉えているが、その図柄だけを追っているわけではなく「リールを見た結果目的の図柄が中段にある状態」を再現させているような感じ。
解像度はそこまで高くないが、見た範囲内が概ね平均的にきれいに見えている。
私の場合、これで2コマを見ていることが多かった。
<図柄を追う>
目的の図柄だけを見るように追う。
こちらの場合、目的の図柄だけがえげつない解像度で中段に見える。
目的の図柄の上下はほぼ見えていない、というよりほとんど意識できない。
私の場合リールを追う方よりこちらの方が集中力が要るが、問題なく再現は可能。
こちらで見ようと思えばできるが上下の景色が全く見えていないよりは見えている方がいいだろう、くらいの安直な考えでリールそのものを追う方式で見る方が多い。
▼で、どう押すか
眼球の状態を感じ取り、押すべきタイミングとシンクロさせたい場合、どう押せばいいか
①中段で図柄を捉え、眼球が中段に移動した瞬間にボタンを押す
この意識で押すには直前の眼球運動が中段で止まっていることが絶対条件となる。
掬い取りならこれだけでいいはずだ。
しかし、自分の地力では中段に図柄が見えていたとしてもその瞬間の視点の位置、つまり残像化した瞬間の目の位置が中段とは限らない。
視点が下段にある時に目的の図柄が中段に見えている場合、次に中段を見た瞬間に押してしまったら早ミスになる。
大概は中段で視点を止められていると思う。しかし、10%ほどで発生するミスの大半が早ミスであることを考えると、まあまあの頻度で見る周回で視点が中段を過ぎているとも考えられる。
終点の位置が毎回分かれば問題ないのだが、正直よくわからない。
恐らく、下段図柄がどのくらい目に入っていたかである程度は判別できるような気はする。
だが、見えた下段図柄の度合いに合わせて都度「目がここに来たら押す」を変えていくのは現実的ではない。
視点の移動幅を、どんな状況でもどんな図柄が対象でも常に一定に保つというのは自分にはまだ難しい。
だから、視点の移動先が◯◯になった瞬間押すというイメージは危険だ。
②上段1コマ直視にして、眼球の始点とか終点とかを全く意識せず、直視=ボタンにする
何を夢見てやがる。
それが毎回安定して再現できないからこうして考えているんだ。
でもいつかこれが最終型になるかもしれない
③見る周回では視覚情報で図柄の位置を確認しつつ、直視の終点を眼球の感覚から感じ取り、次の直視の終点でボタンを押す
自分でも書いててわけが分からないが、目の移動先という位置情報を軸にできないならこれしかない。
だが、こんなこと可能なのだろうか?
やってみると、慣れは必要だったがうまくいった。
▼終点で押す、を意識する
もちろん、本当にこの感覚だけで押せているわけではないだろう。
「直視をやめた瞬間に図柄が見える」
この仮説を軸に直視を実践したことで、直視の終点がどの瞬間なのかが視覚からダイレクトに体感としてフィードバックされるようになった。
自分の直視に「直視の終わり」という一つの点が、体感できるレベルではっきりと新設された。
だから結局やっていることは「次に図柄が見える瞬間に押す」なのだが、自分の感覚としてはそれが「次の直視の終点で押す」になっている。終点の感覚が眼球側に存在しているので、そこをめがけて押すだけだ。
とりあえず、これが良いかどうかはもう少し続けてみないとわからない。
一方その頃
魔星は楽しそうだ
ゲーム配信や麻雀をし始めている。
人を呼び込むのは諦めたのだろうか。
勝ち負けが決まるゲームで劣勢になったり負けたりしたときの態度は小学生以下だ。
餌を取り上げられた時のチンパンジーのような生物としての本能的な態度に加え、人間としてのふて腐れが混ざり「こうなってはいけない」のフォーマットになっている。
配信者として100点を超えているリアクションを、己の内から自然に放出している。
この男は生まれながらにしてエンタメの権化だったのかもしれない。
ライブ配信のサムネイルは職人の域に達している。あれは計算しているのだろうか?
もし計算だとしたら
撮り溜めの疑惑を持たざるを得ない。
本来あれは「適当にサッと撮ったらこうなりました。あれ?これそんなに面白い?そっかぁ、お前たちが面白いならそれで良いんだけどさ」みたいな、偶発的に面白くなっちゃった感じであって欲しい。
しかし、撮り溜めているなら話は変わる。
この角度かな、いやもっとこうピンボケさせて…いや違う、撮り直そう
そんな試行錯誤や努力で生まれたものとは思いたくない。
ディテールにこだわる男ではあるが、あれだけは適当であって欲しい。
そして、その答えも今は知りたくない。
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