基礎練を徹底できる領域が自分が才能のある領域 - 9/26/2024

基礎練習は大事だという身もふたもない話。

COTENRADIOのゴッホ編を聞いていたら、素描(デッサン)を繰り返してゴッホは画家としての訓練を重ねたという話が出てきた。

まあ、それはそうかと思う。基礎練習なくして天才は生まれないというのは理屈では当然のことだ。しかし、人間というのは僕も含めて基礎練を怠りがちである。

基礎練を徹底するというのはかなりストレスがかかることだ。日々時間を割かないといけない。

人間は怠惰なので、今日はサボりたいとかもうやめたいとか日々思うわけだ。

それらに打ち勝って、それでも基礎練を徹底し体で覚える。これが基礎練習の意義である。

さて、振り返ってみると自分も日々基礎練をしている。というか、基礎練をしているなどと意識せずやってることがある。

プログラムのデバッグである。

必ずしも自分が書いたコードに対してデバッグをするわけではない。

人が作ったスプレッドシートを直したり、人が作ったAWSリソースの設定を直したり、人の書いたSQLを直したりも日々している。

毎日誰かが解けない課題(それも結果に対する課題しかわかってない)を持ち込んできて、それを解く。日々その繰り返しである。

これがプログラミングにおける基礎訓練に相当すると思う。

プログラミングをするということは、コードを書いて実行する。実行して問題があったらそれを直す。その繰り返しだ。

一回の繰り返しをどれだけ早くできるか。それがその人の人生におけるプログラミング経験の総量を左右する。

つまり、手数が増えるのだ。手数が増えれば増えるほど、その領域に人は鍛錬を重ねることができる。


ゴッホが行ったように、絵においてはデッサンが基礎練に相当するのだろう。デッサンを早く正確にできるようになればなるほど、絵を描くためのコストがさがり、手数が増える。

数学においては計算の早さだろう。正確に計算することが早ければ早いほど、あらゆる数学的な思索のスピードがあがる(ちなみに、僕は数学科にいたが計算が非常に遅いの基礎力がダメダメだった)。

このように、基礎練をこなせばこなすほどスピードが上がり、手数が増え、練習を重ねることができる。

これが才能の正体なのではないかと思う。

まったくつまらない結論だが、基礎練を欠かさずに行うことができる領域が自分が才能を発揮できる領域である。

僕の場合はたまたまそれがプログラミングだったということのようだ。

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