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楽問のススメ② 2024共通テスト国語・古文②

前回のつづきから。
2024年の古文の出題は、天野政徳『草縁集』の「車中雪」であった。

主人公が、降ってきた雪に風情を感じ、急遽、牛車(ぎっしゃ)をしたてて桂の別荘へと向かう。

しかし、この擬古文が書かれた江戸時代にはすでに、京の都にも牛車を常用する貴人の姿はなく、牛車についても現代以上の知識はなかったものと推察される。

知りたいという欲求はいつの世も変わらず、松平定信は老中引退後も知的活動に従事し、「輿車図考」という優れた牛車研究書を残したそうだ。
(まさに知的シニアライフ!)

この辺の事情は、現代の牛車研究者である京樂真帆子氏の著書「牛車で行こう!」に詳しくある。


平安時代の牛車については、
・いろいろな車種(車格)と乗るための資格(官位)がある
・牛車は原則として五位以上の貴族が所有するもの
であり、誰でも乗れたわけではなかった。


この物語「車中雪」の主人公が使用した牛車は、公務でもなく、思い立ってすぐに用意できて、共の者も少人数ということになれば、「網代車」であったと思われる。

網代車(あじろぐるま)

青竹の細割(または檜の薄い板状の物)を斜めに組んで屋形を張った車の総称。

官位、家格、年齢等の違いによって乗用する車の仕様が異なり、大臣が乗る車は「袖白の車」または「上白の車」と言い、袖表や棟表は白く、家紋が付いているのが特徴。

また、棟、袖、物見の上に文様を描いた車を「文の車」(もんのくるま)と呼びます。

網代車は、袖や立板などに漆で絵文様を描いた物が多く、加工や彩色も多様にできることから、屋形の形や物見の大小、時代の趣向などによって、様々な車に発展し、牛車の主流となりました。

https://www.touken-world.jp/tips/36783/

牛車の各部名称は次のとおり。

https://www.touken-world.jp/tips/36783/

乗降方法は、
・後ろ乗り、前降り(知らないと恥をかく)
・標準四人乗り(同乗者の地位の上下により、座る位置あり)
・降車時は、共の者が牛を外し、前板に沓を置き、㯓(しじ)を降り口にセットする。

「車中雪」の主人公は「下簾」を上げて外の景色を見ている。
下簾を着けていたことから、牛車の種類や情況が推察できるかもしれない。

屋形(車箱)の前後は出入口になっており、通常は後ろの入口から乗り、牛を外したあと、前から降ります。また、乗降口には簾(すだれ)を垂らし、牛車の簾の内側に布製の下簾(したすだれ:簾の下から外部に長く垂らした絹布)を垂らしている牛車もありました。

https://www.touken-world.jp/tips/36783/


平安時代、武士などはすでに馬を利用していた。
牛車はリムジンのようなステータス・シンボルとなっていたのだろう。

牛の世話や移動時の共など、人手や経費がかかるので、応仁の乱以降、公家の相対的地位の低下とともに牛車は廃れてゆき、移動手段としては輿(こし)にその地位を譲った。


「車寄せ」という言葉は現代にも残っている。
牛車をバックで建物につけ、ノンステップで乗車できる。

車をふだん格納して置く施設が車宿(くるまやどり)で、使用するときはここから車を引き出して、車寄(くるまよせ)から乗車する。車寄は中門廊の途中あり、屋根を伸ばして廂(ひさし)を深くして車を入れやすくした場所で、妻戸(つまど)を開けて乗車できるようになっている。

https://www.iz2.or.jp/gisha/gisha.html

大内裏内は、特別な許可「牛車の宣旨(せんじ)」がある人を除いて、原則乗り入れ禁止である。しかし、

平安京とその周辺では道路が比較的整備されていたから、上皇をはじめ大臣以下の公卿、さらには四位・五位の殿上人、それにその子女や仕える女房まで、一般の交通手段としては牛車を用いた(天皇は牛車には乗らない)。

https://www.iz2.or.jp/gisha/gisha.html


「天皇は牛車には乗らない」!
そう、これまでの牛車の乗車資格に「天皇」が現れてないのは、天皇は輿(こし)にかつがれるものだからだ。

今上天皇は皇太子時代に牛車について研究されたが、その中で意外なリスクについて言及されている。


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