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癖毛、仕方ないとか言っても仕方ない

9月14日。

今日も今日とて札幌は雨。

自転車で通院しようとした途端に、雨は振り出した模様で、
道を漕いでいるうちにどんどん濡れてくる。

おかげで服はびしょびしょ、
髪はくりくりの、
少々みっともない状態で一日が始まった。

いつからそうなったのか全く覚えていないのだが、
髪質が癖毛のそれなので、
湿気が多いと露骨に髪の毛が
捻くれたかのようにあちこちにねじ曲がる。

湿気の多い今日なんて日には、
外はね、
内はね、
なんでもござれの
無造作くんにナチュラルセッティングされてしまう。

試しに一本引っこ抜いてみると、
一体、何を思い悩んでこんなカーブを描こうと
思い立ったのかと聞いてやりたくなるくらいにU字を描いている。

どうして、どうしてなのだろう。
いくら髪の毛に聞いてみても応えてくれるはずがない。
しかし普通だったら重力に逆らうこともなく
そのままストンと直線を描けばいい話だろうに、
わざわざカーブを描くものだから、
もしや人間のように意志があるのではと期待してしまう。
結局はただの自然現象のそれである。無念。

子供の時はここまで癖毛人間ではなかった、と思う。
幼少期はストレートさらさらおかっぱ君として、
その短足を一歩一歩踏み出しながら
生きることに精一杯だった。

しかし義務教育を受け、青春を辿り、
生きることの難しさを肌で感じているうちに、
気づけば大人になっていて、
髪の毛はひねくりかえるようになっていた。

ついでにニキビができるようになっていた。
アトピーが悪化した。喘息も出た。憂鬱が増した。

そしてタバコを吸うようになり、酒も飲み、性欲処理も始めた。

癖毛どころか、あらゆる面でガタがきた。

「20代の頃はよく無理をしたものだ」
と若い頃を振り返るおっさんが
よく口にしたりするセリフがあるが、
とてもじゃないが無理なんてできなかった。

ただでさえ身体が弱々しい人間なのだ。
私は常人です、と振る舞うのに
それなりのハンディキャップを抱えて生きている。

めんどくさい。
何てめんどくさい身体に生まれついてしまったのだと思う。
しかし誰を恨むこともできない。
仕方ないから生きる。
生きているうちは仕方ない。
そして仕方ないと考えて生きるのはこれまた辛いから、
仕方ないとか言わずに少しでも積極的に生きる。

少しでも前向きに生きるために、
まず喘息の諸悪であるタバコをやめた。
そして身体の痒みを引き起こすであろう甘いものもやめた。
とりあえずは喘息は治って、アトピーはそこそこ軽度になった。

しかし代償として
わけわからん禁断症状のようなものに苦しめられる。
憂鬱が洒落にならないくらいに襲い掛かる。
暫くすると治ってくる。
治ったようでたまにぶり返す。
なんだかんだ安定してきている。
安定しながら、自分は癖毛に悩まされる。
喘息やアトピーが治るのに癖毛は治らんのかと嘆く。


癖毛こそ、どこの誰を恨んでもどうにもならない。

その辺の猫に恨みをぶつけても
にゃーんと鳴いて走っていくだけだ。
全く猫なんてなんのあてにもならない。
ただ可愛いだけじゃないか。

可愛いだけで
人間と共存することに成功した生き物、それが猫である。

時折、無駄とは知りつつも
世間の飼い猫に羨望を感じることだってある。
猫として生まれれば、
癖毛なんて気にしなくて済んだのかもしれない。

人間だから、
こうしてあらゆるものに悩んだり怒ったり、
絶望したり苦しんだりするのだ。

猫として生まれていたら、
自殺することも、
泣き喚くことも、
戦争することだってない。

もちろん癖毛が鬱陶しくなったりすることもない。
いくら癖毛になっても、気にすることはない。
ただ本能のままに生きるだけだ。

とまあこんなニュアンスが
『吾輩は猫である』に書いてあったかもしれない。
被っているかもしれないけれど、自分もそうだと思う。


明日は雨は降らないらしいので、
この目障りな癖毛の分際も今日寝てしまったら、
翌朝にはおさらばとなる。

最近、雨が多いせいか、
精神状態もあまりよろしくなく、
いや厳密に言えば精神状態が宜しい方が少ないのだが、
雨も相まっての不安感が募っている気がする。

少しの弾みでじめじめとした気分に落ちていく。
もういい加減に雨の日は飽きたのだ。

ビシャビシャと、
アスファルトが濡れていく中を自転車漕いで頭濡らして、
髪の毛くりくりにして、
はあとため息をつきながら仕事して、
家に帰ってこれを書く。

もういい加減にため息の日々は飽きたのだ。
ため息をつくことで、
前向きな気持ちは澱んだ沼に沈んでいき、
辺りは暗くなり、雨の勢いは増す。

結局いくら雨がジトジト降りやがっても、
晴れの気分は自分の中に持たなければならないということらしい。

徒労に次ぐ。徒労。
なんてめんどくさい自然の理だろう。
でもめんどくさいと思いながら生活する方がめんどくさい。
ため息の日々に生きる方がため息だ。

だから少しでも前向きに生きるしかないらしい。
飽きた飽きたと嘆いても、
めんどくさいめんどくさいと繰り返しても、
ずっとそのままらしいのでもう仕方なくやりのけている。
仕方ないとか思うと余計にしんどい。はあしんどい。





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