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手の届くものほど #リモコン

リモコンというのは、見れば見るほど変な名前だ。

もとの名前はなんだっけ?リモートコントローラー?日本語だと遠隔操作機器だそうだ。固い。ガチガチな言葉だ。

で、この「遠隔操作機器」が、家にはいくつもある。

いつからこんなにリモコン社会になったのだろう。

テレビの、エアコンの、FireTVの、CDプレイヤーの、部屋の照明の、カラオケボックスの。トイレや浴室の操作パネルなんかも、それの類なんだろう。そういえば、車のドアも、ドアキーのボタンで「遠隔操作」できるようになってる。

見た目がゴツいのから、ちょっと見、可愛らしいものまである。

不思議なことに、こうした「リモコン」は室内で使うモノがほとんどで、外出したときに「リモコン」を使うことって、あまりない。

これは技術的な問題なのかな?つまり、室内くらいの狭い範囲でしか、信号が届かないのかも知れない。(実のところは、よく知らない)

だとしたら、われわれは、手の届く範囲のものほど、「遠隔操作」したがるのか。ぜんぜん「遠隔」じゃないのは、ちょっと可愛い。

あまりにも生活に馴染みすぎていて、リモコンが自分たちの生活の大事なパートナーであることを忘れがちだし。こんなにいっぱいあるリモコンを一つにまとめられないのか、なんてことはあまり議論もされない。

あ、もしひとつにまとめてしまったら、そのリモコンを失くしてしまった瞬間に、生活はジ・エンドということか。

リモコンが生活に深く馴染んでいる、ということは、言い換えれば自分たちの生活に「遠隔操作」が深く入り込んでいる、ということだ。

「手の届くものほど、遠隔操作したい」という欲望は、なんか人間関係にも影響を与えているようにも感じるのだけど、それを分析するのは、なんか意地悪な気がするので、やめておく。

ま、ひとつ言えるのは、「遠隔操作」できない誰かを困らせてやろうと思ったら、リモコンのひとつでも隠してしまえばいい、ということなのだろう。

どんなに生活のなかにリモコンが増えても、手の届くところに手で触れることは忘れないようにしたいものだ。

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