釧路湿原とネイチャーアレルギー

 ヤチとか沼地とかいわれてて、特に市民が気にも留めてなかった釧路湿原が国立公園になったのは小5の時。教育研究モデル校にたまたまブチ込まれてた私たちは、湿原総合学習とかいうやつに巻き込まれました。
 
 市民会館には、ツルをモチーフに怪しげな劇団が東京から来て怪しい劇とかやります。自分らも鶴への手紙書かされたり、湿原新聞とか作る羽目に。
 
 鶴の詩の輪読とかイヤだったな。『ピーちゃん、ピーちゃーーーん。』という泣かせどころのセリフを与えられたのは優等生の女子。当時から後向きの私に与えられたパートは『あ、卵が。』
 
 そのうち音楽の授業で、湿原を音で表現しようという企画まで現れてやらされます。ジゴク。家族会議。
 
僕『湿原を音で表現だってさ。』
父『あー、あいつら(意識高い系教員)のやつか。これ持ってきな。コード進行書いてあげるね。』
  
 親父がそのとき飲みながら弾いてた安物のアコギを学校に持たされた私。発表会でいちおうストーリー立ててやりました。
 
 担任は喜んで頭をナデナデしてくれたのだけど、音楽専任の教師は怒り出します。フルイにアズキとか、草笛など、そういうやつを期待してたらしい彼女『それ、湿原の何なの?』。そりゃそうか。エンディングはアリスのチャンピオンのコード進行だもんな。
 
 ということで、表現活動に賛否両論があるんだという大事なことを知った11歳の秋。自然に不自然に向き合う体験。あれでネイチャーアレルギーを持つことになります。
 
 態度が悪いというのもあったけど、ピアノでそこそこコンクール出ながらも、音楽の評定はずっと5段階で3でした。
   
〈FINE〉

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