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白井健三の軌跡
2021年6月16日、白井健三が記者会見を開き、現役引退を発表しました。
24歳、社会人3年目での引退は早いような、でも大学で引退する選手がほとんどな体操界においては長い方なのかなとも思ったり。
でも、彼の同期の選手は東京五輪を終えても尚、パリ五輪に向けての意気込みを表明しています。
それを考えると、永く日本代表として活躍してきた白井さんの引退はやはり早いと感じてしまいます。
白井さんの大学卒業後の進路について、僕は勝手に内村選手のようにプロ体操選手になるものだと思っていました。
しかし、そうはならず、日体大の大学院を経て、2021年には所属が「日本体育大学 教員」となっていました。
プロにならなかった時点で、もうセカンドキャリアの事は決めてるんだろうなとも思いましたが、「日本体育大学 教員」を見てそういう事かと思いました。
それでもこんなに早く引退するとは思いませんでしたが。
白井健三選手は2013年、17歳で初めて世界選手権の代表入り、その後2018年まで代表に入り続け活躍します。その軌跡を振り返ってみましょう。
(以下敬称略で失礼します。)
2011年(中学3年時)
2011年の全日本種目別選手権、白井健三は中学生にして種目別ゆかで決勝に進みます。それだけでなく、内村航平選手に次ぐ2位という結果を残すのです。中学生で全日本の表彰台に立った白井は一躍注目を浴びます。
2012年(高校1年時)
この年も全日本種目別選手権のゆか決勝に進みます。しかし、ここでは5位という結果に終わります。
インターハイでは個人総合38位ながら、ゆかでは全体トップの成績。
全日本ジュニアでは1年生にして個人総合10位という成績を残します。
2013年(高校2年時)
この年の全日本種目別選手権で白井は、まだ名前の付いていない「後方伸身宙返り4回ひねり」「前方伸身宙返り3回ひねり」を入れたDスコア7.4の演技構成を披露して初めて全日本チャンピオンとなります。
そして派遣標準得点を突破して世界選手権の代表に初選出されました。
高校生での世界選手権代表入りは史上初めての事でした。
そしてベルギー・アントワープで行われた世界選手権。初出場、そして史上最年少となる17歳ににして種目別ゆかの金メダルを獲得します。
さらに、「後方伸身宙返り4回ひねり」には「シライ/グエン」、
「前方伸身宙返り3回ひねり」には「シライ2」、
さらに跳馬で「ユルチェンコとび3回ひねり」に「シライ/キム・ヒフン」の名前が付き、一躍体操界で時の人となります。
下記の動画は晴れて「シライ」と名前が付いた当時にアップされた動画。
〇ゆか:後方伸身宙返り4回ひねり「シライ/グエン」
〇ゆか:前方伸身宙返り3回ひねり「シライ2」
〇跳馬:ユルチェンコとび3回ひねり「シライ/キム・ヒフン」
2014年(高校3年時)
この年も全日本種目別選手権のゆかで優勝。加えて再び派遣標準得点を突破して世界選手権代表に入ります。この年は初めて団体メンバーとして代表に入ることになります。
高校最後のインターハイでは個人総合で2位。のちに東京オリンピック代表として活躍する同学年の谷川航・萱和磨と同じ表彰台に3人で立ちます。
写真⇒【体操競技】7年前、インターハイの表彰台に並んでいた谷川航、萱和磨が揃って迎える東京五輪に期待!
さらに全日本ジュニアでは萱和磨と同率で個人総合優勝。この時に共に表彰台に上ったのは同じく同学年の千葉健太です。
写真⇒体操全日本ジュニア 白井(岸根)個人総合で同点優勝(神奈川新聞)
白井健三・萱和磨・谷川航・千葉健太の1996年生まれの4人は、メディアから96年組としてしばしば取り上げられるようになります。
この年の世界選手権では、初めての日本代表としての団体決勝で0.1の差で中国に敗れ銀メダルを獲得。初めての団体戦で強烈な経験をします。
種目別ゆかでもロシアのアブリャジンに僅かに及ばず、銀メダルを獲得します。鮮烈なデビューから1年が経ち、誰もが白井の演技を見て知っている状況は、初出場の1年前とはまるで違っていました。
世界選手権から2週間後、白井はスイスで行われたメモリアルアーサーガンダー杯という大会に出場します。そこでゆかの演技構成を変えてきたのです。
新しく入れたのは後方抱え込み2回宙返り3回ひねり「リ・ジョンソン」と呼ばれるG難度の大技です。
世界選手権の敗北から「守っていても勝てない」事を知った白井は、たった2週間で演技構成をアップグレードしたのです。
Dスコアは7.4から7.6へ。もはや世界の誰も到達できない領域に達しました。
2015年(大学1年時)
神奈川県立岸根高校を卒業した白井は日本体育大学に入学します。
入学式では1700人もの新入生を代表して宣誓する大役を担い、同級生の村上茉愛選手と共に注目されました。
白井は個人総合でも力を付け始めます。
全日本個人総合選手権で11位、NHK杯10位、個人総合でもシニアの選手と戦える位置に上がってきます。
続く全日本種目別選手権ではゆかで3連覇。この年も世界選手権の代表に選ばれます。
全国の大学生で競う全日本インカレでは1年生ながら個人総合で3位。めきめきと実力を伸ばし、結果を残します。
この年の世界選手権は、翌年に控えるリオ五輪での団体への前哨戦として力を入れていた大会でした。この大会で日本団体は37年ぶりに団体金メダルを獲得し、リオ五輪へ望みを繋ぐことになるのです。
そして白井個人は種目別ゆかでリ・ジョンソンを入れた新しい演技構成で世界チャンピオンの座に返り咲きます。
世界選手権団体優勝の興奮が冷めやらぬ中、全日本団体選手権は盛り上がりを見せていました。白井は1年生ながら強豪・日本体育大学の団体メンバーに選ばれただけでなく、最終演技者を任されて日体大を優勝に導きます。
さらにこの年の豊田国際という大会で、白井は4つ目の新技を発表しました。前年に演技構成に取り入れたリ・ジョンソンを伸身姿勢で行う、「後方伸身2回宙返り3回ひねり」。いわゆる「伸身リ・ジョンソン」です。
この時、この豊田国際に出場していた、アメリカのエディ・ペネフ、オーストラリアのクリストファー・レムケスの2人も同じ技を新技申請していました。しかし、ペネフは本番の演技で実施せず、レムケスは着地に失敗し、「伸身リ・ジョンソン」には「シライ3」の名が付けられることとなりました。
2016年(大学2年時)
リオ五輪が開催されるこの年、我々体操ファンは衝撃を受けました。
全日本個人総合で内村航平に次ぐ2位に白井健三の名前があったからです。
これまでスペシャリストとして代表入りしてきた白井が、個人総合での代表圏内に入ってきたことに、只々驚きました。
残念ながらNHK杯の結果により個人総合代表は加藤凌平が勝ち取り、白井は全日本種目別選手権を4連覇してリオ五輪の代表に選出される事となります。
初めてのオリンピックであり、結果的に白井にとってはこれが最後のオリンピックという事になりました。
そのオリンピックで悲願だった団体金メダルを獲得。跳馬の完璧な着地、ゆかの演技を終えた後のホッと肩の荷を下ろした瞬間が印象的でした。
これまで緊張しているような素振りを全く見せなかった白井が弛緩する瞬間に、オリンピックの荘厳さを感じました。
種目別ゆかではメダル獲得はなりませんでしたが、跳馬では新技を発表して銅メダルを獲得します。
その新技が「ユルチェンコ3回半ひねり」。後にも先にも白井しか実施していいない技です。
オリンピックが終わった後、この技に「シライ2」の名が付けられました。
リオ五輪が終わり、いよいよ次は東京だと高揚する中、リオシーズンの終わりとしても、新たなスタートとしても、盛り上がった全日本団体選手権。
勝負は白井擁する日体大と、白井とともに「黄金世代」と呼ばれた萱・千葉・谷川の3人を擁する順天堂大学との一騎打ちの様相です。
日体大の最終種目はゆか。最終演技者は白井でした。日体大が勝つには、白井が16.800以上を出さなければなりません。
普通に考えたらとても無理な点差ですが、白井のゆかなら可能性はありそうだと文字通りの希望を持っていたのです。
白井のゆかの演技は完璧でした。まだわからない。
そして電光掲示板に表された得点は16.750。この年、僅か0.050点差で日体大は敗れたのです。
2017年(大学3年時)
体操はオリンピックが終わる毎にルールが改正されます。ルールも変わって、いよいよ東京オリンピックに向けて走り出そうとしていた時です。
シーズンの開幕となるワールドカップメルボルン大会に白井は派遣されます。
そこでまたしても跳馬の新技を発表したのです。
「シェルボとび2回ひねり」という超マイナーな跳び方を披露して、「シライ3」と名前を付けました。
これでゆかと跳馬でそれぞれ3つずつ、計6つの技に「シライ」の名が付くことになりました。
リオ五輪が終わり、ルールが改正されてから初めての全日本個人総合選手権。この大会の予選で「96年組」が頭角を現します。
96年組の4人、千葉健太・谷川航・白井健三・萱和磨が予選上位4位までを占めたのです。
決勝では順位が大きく入れ替わり、白井は3位に入ります。
さらにNHK杯で順位を上げて2位となり、ついに個人総合で世界選手権の代表に選ばれることとなりました。
その勢いは止まらず、全日本種目別ではゆか5連覇。全日本インカレでも個人総合で優勝します。
この年の世界選手権は日本体操界にとって節目でした。
絶対王者であった内村航平が予選で怪我をしてしまい、個人総合を欠場する事になったのです。
2009年に世界チャンピオンになってから2016年のリオ五輪まで個人総合の絶対王者として君臨していた内村選手が、初めて個人総合の舞台から姿を消すことになります。
その後を託されたのが、個人総合で選出された白井健三でした。
後を託された白井は見事個人総合で銅メダルを獲得します。個人総合での表彰台を守ったのです。
そして種目別ゆかでは伸身リ・ジョンソンとリ・ジョンソンを続けて実施するという弩級の演技構成で金メダル。さらに跳馬でも初めての金メダルを獲得しました。
2018年(大学4年時)
高校生だった白井も、大学の最終学年になっていました。
この年、5年ぶりに東京でワールドカップが開催されました。
体操強豪国から一人ずつが東京に集まり、個人総合で競う大会です。
この大会に白井健三が日本代表として参加して見事優勝します。
シーズンの初め、全日本よりも前に行われ、海外の選手も見られるという贅沢な大会の復活を体操ファンは喜びました。
FIG Individual All-Around World Cup 2018 Men's Individual All-Around Result
この年の大きな出来事と言えば全日本個人総合選手権です。
内村航平選手の連覇が10で途切れた大会でした。
11連覇を阻んで優勝したのが当時順天堂大学2年生だった谷川翔選手。
谷川翔選手はこの年、全日本の予選に出場する権利を得るためのさらに予選から勝ち上がってきて優勝という劇的な勝利を収めたのです。
前年の同大会で3位だった白井はここで2位につけます。
1ケ月後のNHK杯では内村選手が逆転優勝。この時も白井は2位でした。
なかなか1位に届きません。
全日本種目別ゆかでは6連覇を達成。この年も世界選手権の代表に選ばれます。さらに学生最後の全日本インカレでは個人総合2連覇を果たしました。
そして、世界選手権。東京オリンピックでの団体金メダルに向けた新たなスタートとなる大会です。
この大会で団体3位以内に入れば東京オリンピックの団体での出場権を獲得できます。
3位以内に入ることは絶対条件。狙うはもちろん金メダルです。
しかし、ここでは団体3位。銅メダルを獲得します。
ライバルの中国が金メダルを獲得し、中国に先を越される形になりました。
この年の世界選手権も、絶対王者の内村選手は個人総合を辞退。白井と萱選手が個人総合を戦いますが、メダル獲得はなりませんでした。
迎えた種目別ゆか。白井はこれまでよりも難度を下げた構成を披露しました。
この年の世界選手権で使われた器具に体を合わせる事ができず、本来の演技を披露することができなかったのです。
結果は銀メダル。この年は種目別跳馬でも銅メダルを獲得します。
白井健三にとっての世界選手権出場は、これが最後となりました。
この年に新設された、個人総合スーパーファイナル。白井はその初代チャンピオンとなります。
それだけでなく、ここでゆかの新構成を披露したのです。
後方1回半ひねり+前方3回ひねり【シライ2】+前方1回ひねりの3連続宙返りを披露して会場を沸かせました。
毎年のように進化し続ける演技。次はどんなことをやってくれるんだろうとわくわくする選手でした。
2019年(大学院1年目)
日体大を卒業し、大学院へと進んだ白井健三。
その年の初戦となったのが東京W杯でした。得意のゆかは従来よりもかなり難度を落として臨み、個人総合でも3位に終わっています。
それから3週間後の全日本個人総合。
前年2位だった白井は、ゆかの点が伸びず、鉄棒で2度の落下と精彩を欠き、決勝出場選手中最下位という結果に終わってしまいます。
NHK杯は全日本の点数を持ち越して争われるため、個人総合での世界選手権代表入りは絶望的でした。それでも順位を上げて、最終的に24位で終えることとなります。
それでも世界選手権代表入りの野心は消えることはなく、残りの代表が決まる全日本種目別選手権に臨みます。
個人総合を戦った時に伸び悩んでいたゆかの点数は少しずつ復調を見せましたが、この頃、種目別ゆかでは仙台大学の南一輝選手が力を付けていました。この年の種目別ゆかは南一輝選手が優勝。白井は3位に終わり、2013年から続いた全日本種目別ゆかの連覇は6で止まることになりました。
そして同じく2013年から続いていた世界選手権の代表入りも逃してしまいます。
白井だけではありません。2019年の世界選手権代表からは、内村航平選手すらも外れていて、リオ五輪で団体金メダルを獲ったメンバーは誰一人残っていませんでした。
この年の世界選手権には、黄金世代と呼ばれた萱選手と谷川航選手がチームの主力となり、後に東京オリンピック個人総合金メダリストとなる橋本大輝選手のデビュー戦でもありました。内村航平選手を欠いた中で団体銅メダルを守り抜き、内村選手がいなくても戦える事を証明しました。
2020年(大学院2年目)
世界が未曽有の事態に襲われたこの年。
初の試みであった内村航平杯の中止というニュースから、体操シーズンは始まります。
「KOHEI UCHIMURA CUP2020」開催中止のお知らせ
通常春に開催されている全日本は延期され、東京オリンピックの予選となるW杯も中断や延期といった措置がなされました。そして東京オリンピックの1年延期が決まります。
国内のシーズン開幕は9月の全日本シニアでした。大学院2年目の白井もこの大会に出場します。
実業団に所属しない白井は、団体を組まずに個人としての出場。
結果は24位と揮いません。
春に延期が発表され、12月に開催された全日本選手権。個人総合では18位でしたが、種目別ゆかでは15点台が出るようになり、ゆかのスペシャリストとしての威厳を回復ししつつありました。
2021年(日本体育大学教員)
1年延期されて迎えたオリンピックイヤー。
白井の所属は「日本体育大学教員」となっていました。
決意のシーズン初戦。五輪予選の初戦となる全日本個人総合選手権は28位という結果に終わります。
翌月のNHK杯では出場種目をゆかと鉄棒に絞って挑みました。
ゆかでは種目別トップの成績。鉄棒でも高得点を出して全日本種目別への布石とします。
そして五輪選考最終戦となる全日本種目別選手権。
僕はその予選を見に行きました。そこで見た白井選手の演技に、いや、演技を終えた白井選手の笑顔に安心したのです。
個人総合で順位を落としてから、苦しそうな表情の写真と共にネガティブな記事ばかりを目にしていたので、晴れ晴れとした表情を見ることができて嬉しかったのです。
演技の内容はもちろん素晴らしく、久しぶりに4回ひねりを見られたことも嬉しかったのですが、4回ひねりよりもその笑顔を求めていたんだと自分で気付きました。
決勝の演技は見に行けませんでしたが、ゆかの演技を終えて満足そうな白井選手の顔をテレビで見て、その笑顔に僅かな儚さも感じました。
東京オリンピックの代表からは外れたと決まった時はまだ引退するとは知りませんでしたが、この長い選考レースの中で浮き沈みがありながら、自身の立場が変わりながらも、ここまでやり遂げたことに対して素直に「お疲れ様でした」という言葉が出ていました。
最近では苦しそうな表情ばかりが記事にされていたので笑顔の写真が見られて良かったです。
— 翔gym (@sho_gym_681) June 6, 2021
客観的に見ても心の底から体操を楽しんでいると思える選手の1人です。
本当にお疲れ様でした。よく頑張りました。
またあの勢いのあるひねり技が見られますように。 https://t.co/FBTgM8HI1q
そしてこの演技を最後に、東京オリンピックの開催を待たずして、白井健三は引退を発表します。
「恵まれた体操人生だったと思う。体操は点数を競う競技だが、人を認めあうことを体操からは教わった。試合で優勝することや代表に選ばれるときもうれしいが、先輩や後輩たちと笑いあった1日、1日が宝物だった。本当に幸せな体操人生だった。まわりの支えがあってここまで来られた」と競技生活を振り返りました。
中学生で全日本の舞台に現れ、17歳で世界デビュー。幼さの残る頃から世間に注目され、世界の体操ファンに成長を見守られ、大人になっても活躍を伝えられてきた。まさに体操界の王子のような存在でした。
今後は指導者として、自分の育てた選手が世界選手権・オリンピックに行ける事を夢見ているようです。
白井健三さんのこれからのご活躍を祈っています。
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