自分への問い。

僕が携わってる美術の本で自画像を描くことになった事を思い出して。

前々回は絵のテーマを設けて自画像を描くことになった。
自画像を描く事が嫌だった。僕にとって自画像は自分とは何か?描きながらずっと問答していく作業だ。若い頃はこれを繰り返し、その時の自分の言葉を自画像に委ね探していた。
だけど、つらくて描くのをやめてしまった。
ちなみに、似顔絵は自画像ではない。

大正昭和の画家達の自画像の中には鬼気迫る自画像があり、それは生きる事の生々しさを感じられた。
なぜその時代の画家が良いかと感じられたかというと、生きる事に真剣に向き合っている姿勢が伝わってきたからだと思う。

ただ、僕が知るその様な画家の多くが短命であったり、昔の言葉で言う神経衰弱に陥ったりしていた。

今回久しぶりに描いた自画像が自分の何を表現していたのか分からない。
自分の表情や身体より自分のアトリエを通した自分の存在をただただ描いたものにすぎない様にも感じる。


話は変わるけど、僕は「自分への問い」をやめてみようと思う。

病気になって色んな方から声を掛けてもらって共通して響いた言葉は「自分を虐めないで」ということ。

自分を虐める。自分を傷つける。自分を労る。

この言葉達に色んな解釈はある。
強い言葉や他人に流されないで、とかしっかり断る事は断るなど。
そして、周りの環境に関係なく自分の心身を休ませる事や必死になりすぎない事。

でも、自分を疑わない事も大切だなぁと思う。

僕は今のままでいいのか?もっとできるんじゃないか?
とか、結構僕は自分を疑う。

でも、それは幸福を感じる心を邪魔していると思う。

今現状俺は今ちゃんと幸せなんだと思う。
それは悲しい事にちゃんとしっかり立ち止まって、ぐるっと見回して自分の身体を全身見つめて、絵を描いたり、家族と話さないと気付かなかったりする。

自分の良い心も悪いと思っている心も疑う必要がない。自分を疑うという事はとっても悲しい事だ。

長ったらしいけど信じてやる事がとても大切だ。
あの時の後悔も、自身の疑いようのない純粋で正直な自分だからだ。

問いかけはやめにしよう。
いや、問いかけではなく疑いをやめよう。

僕は自分を決して虐めない。
疑わない。

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