忘れた

立川談志は落語は「人間の業の肯定だ」と言っていた事を聞いて安心したのを覚えている。

俺はブラックな笑いが好きで性格が悪いんだなぁと思えるし、態度が大きく声も大きい。空気が読めずに時に人を傷つけてしまう事もあるし、そんな事が無かったかもしれないのに勘違いをしてバタバタする事もあるし、そそっかしい。
それでいて、傷つきやすく常に人の存在を確かめたい。人とぶつかり合いながら上手く生きれない自分に怒りを覚える。

なので、談志のこの言葉と落語という表現がこの世に存在していることに、自分という変人がいる事がこの世の中に存在していても良いという事が落語表現が存在し文化となっているという歴史を鑑みれば、こんな救いの言葉はない。


今日は近所の寺でお祭りがあり、かなり近い距離で花火を見た。
あまりの美しさに胸が高ぶった。
花火は人間の心の新陳代謝を促してくれる。

時に人間の持つ「忘れる」という自然治癒能力を忘れてはいないだろうか。忘れるという事はネガティブな様な言葉だけど、はっきりとした自然治癒能力だと思う。

それを忘れてはいけない。どこかで僕らは待つ事を知らないと。僕らは忘れてしまうから次に進めるんだ。

花火も何回も何回も見てるけど一年に一度、下手したら何年も見ない事もある。その度に初めて見た時の様な感動がある。

僕らは忘れる。
だから、何回も同じ事で後悔したり、自責の念に囚われるけど、その反面初めて触れる感動もある。

僕はこの「忘れる」という自然治癒能力を信じたい。

そして、最後に矛盾を覚悟で人間は忘れない生き物だ。
忘れない人間の業も含めて信じている。

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