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本当に集団生活が必要か?25歳広汎性発達障害女性の自己判断

※事例に関しては個人が特定されないよう一部脚色して作成しております


COCOLONO LABの運営も早1年半が過ぎようとしている。おかげさまで良きご縁にも巡り合えたり、非常にやりがいのある立場でお仕事をいただいてはいるが、実態としてはまだまだ志数歩進んだだけである。事業である以上、このあたりでテコ入れの必要性を強く感じている。


そもそもが既成の福祉事業では見落とされがちなニーズや、古くからの固定概念により半ば強引に定型化されるその支援に対し、組織(フォーマル資源)ではなく個人(インフォーマル資源)でできることを追求したい思いから個人事業の立ち上げに至った。

誤解しないでいただきたいのは、社会福祉法人をはじめとした現在の様々な福祉資源を否定しているのではなく、組織でできることと個人でできることそれぞれに価値があるということ。どちらがどちらに追いつくとか追い越すということでもない。役割の分散化である。そのような思いをさらに進めるためにも、私自身まだまだ勉強の余地が大いにあると言えよう。



このような思いを産んだ一つのきっかけとして、キャリアの中で重度知的障害者の施設入所支援から、軽度知的・発達・精神障害者の自立及び地域支援に鞍替えしたことであった。

固定概念と言えば、このnoteでも何度か触れたことがあるが、彼らの生活(もっと言えば人生)が組織のこれまでの潮流によってある程度決めつけられてしまうその方向性に疑問を抱いたこと。その潮流に私自身も流れに身を任せた時期もあったが、若く将来のあるクライエントと日々本音で接する中で、彼らの思いが決して「子供じみ」ていない、ピュアなニーズであることを痛感し続けた。


支援者が提示する目標としてのAとB。クライエントの支援はそのAかBに寄せるために支援計画が練り上げられる。しかし実際にはクライエントはCというニーズを持っている。もちろん現実的な事実は検証しなければならない。生活能力でありお金であり、健康状態である。しかしそれらをクリアしていてもなぜか「いやあなたはA」という個別支援が展開されているのであれば、もはや「個別支援」とは言えない。さらに、上記条件がクリアされていなければ「だからダメ」ではなく「どうしたらクリアできるか」と言う議論に移るべき。それは本人の努力も必要だが、適切なサポ―トさえあれば十分クリアできる課題ともなる。






先日、以前私が支援していた広汎性発達障害の若い女性から連絡があった。私物を紛失して困っているとのことだったが、実は思いもよらない事態になっていた。



彼女は仕事も安定しており、生活のスキルもそれなりに高い。精神状態さえ安定していれば一人で生活を営むことは十分可能であると考えられた。困ったことがあっても、今では地域での相談機関はまんべんなく点在している。

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