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岸和田城と和歌山城

俺と歴史の話をしますね。

昔から歴史好きでして、この戦国武将とか好き!とかじゃなく、生まれた土地や、訪れた市の市史を読むのが好きなんですね。

で、
俺が生まれた町、岸和田。

だんじりだけと思われがちですが、市史がめっちゃ面白いんですよ。

まず、俺が生まれた神社の裏手の山にあったのが捕鳥部万の墓。

ととりべのよろずって読むんですが、この名前が人生で初めて覚えた歴史人物じゃないかな。

調べて知った、捕鳥部万と白い犬の話。

日本書紀にも載ってる蘇我馬子が物部守屋の一族を滅ぼしたやつね。

物部氏側の武人だった捕鳥部万は、まさかの白い犬を飼って戦いに参加してたわけですわ。
で、捕鳥部万が敵に討たれたんですが、ずっと白い犬は捕鳥部万の首を守って、そのままその場所でなにも飲まず食わずで誰にも近寄らせずに死んでいったというね。

泣くしかねぇ。

っていう歴史にハマったきっかけの話。

で、タイトルにもある岸和田城の話に入りますね。

時は戦国、第六天魔王(本人お気に入りのニックネーム)の織田信長が天下統一を目指してる時代ね。

和歌山あたり欲しかった信長は、豊臣秀吉に紀州攻めをさせるんだけど、その時に作った城が岸和田城。

小学生の頃の俺は『小さくて遊びやすい城』としてお小遣いでよく城登って遊んでたんですよ。

『遊びたくなる庭だなぁ』とか思ってたんですが、立ち入り禁止だしつまんねぇなと思ってた。

それが、八陣の庭。
(2014年、国の名勝に指定)

三国志好きな人はご存知、諸葛亮の八陣法をイメージして作っちゃった昭和初期の庭師・重森三玲さん作ね。

真ん中が大将って石で、八陣法を攻めるごっこして遊べるんで、最高に楽しい枯山水ですよ。
重森三玲さん的には『作った庭の中で1番自由に作らせてもらった庭』だとか。

でしょうね。

戦国時代の話に戻りますね。

俺が今年から新衣装に起用した雑賀孫一。その、雑賀孫一率いる雑賀衆と根来衆VS織田信長(豊臣秀吉)の戦いが紀州攻め。

雑賀衆!!!!ふぉぉ…!!!かっけぇ…!!!!!雑賀衆はみんな大好き戦国最強鉄砲傭兵集団だよ!!!信長が1番苦戦させられ、苦手としたのは雑賀衆なんだよ!!!ふぅ…!!!

で、その雑賀衆と根来衆が逆に、岸和田城を攻めてきたんだよね。

まじで恐いわ、鉄砲傭兵集団。

やべぇ、岸和田城終わった。
と、思った時!!!!

タコを連れたお地蔵さんがお堀から出て、海からタコを大量に上陸させ、『人殺すのは地蔵的にちょっとあれなんで、タコに殺させるわ』ってなことでタコが雑賀衆と根来衆を倒しまくる…

え、ちょっと、何を見させられてるかわからないです。

はい、ここまででお気づきですね!!

岸和田+雑賀衆+タコ…

それ…俺やないか?

実家のたこ焼き屋は岸和田の道の駅『愛彩ランド』に出店しております、ぜひよろしくお願いします。

さて、戦国時代に戻りますね。

なんやかんやで、めっちゃ時間かかって、水攻めとかして雑賀衆と根来衆を滅ぼし、和歌山GETした豊臣秀吉。

和歌山城、建てちゃったわけですよ。

豊臣秀吉の弟が、城作りといえばやっぱりこの人!藤堂高虎に頼んで築城したんですよ。
江戸時代には徳川御三家として有名になるビックなお城ですね。

ビックすぎて、なかなか写真に収まらない広さ、和歌山城。

で、この石垣!!!!

和歌山城と岸和田城の石垣はなんと、同じ材質…そう、あの島産です。

和歌山友ヶ島(沖ノ島)の結晶片岩です!!!

この島から取れた石なんで、化石が混じってたようで、化石がある城として岸和田城と和歌山城は有名ですね。

はい、お気づきですね。

友ヶ島でイベントしたことがきっかけで和歌山観光発信人となった…。

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