大浦さんの町               暇刊!老年ナカノ日報⑪ 2019.1.30

この前、電車に乗って遊びに行く途中で、Kという駅を通りました。大浦さんが住んでいた町です。3年ほど前に亡くなった人なのですが、その駅を通るたびにぼくは大浦さんのことを思い出します。2回しか会ったことがない人なんですが、ぼくはまたどこかで会えると思って楽しみにしたりしていたわけです。

穂高で会った豪放なおっちゃん

もう十何年か前になりますが、ぼくは友だちと二人で、北穂高から奥穂高を経て前穂高へと縦走をしていました。北穂の小屋は1畳に3人以上の超満員で当然ほとんど眠れず、ヘロヘロになって奥穂前穂と越え、午後4時近くなって岳沢のヒュッテにたどり着きました。受付をすませて荷物を置き、ビールビールとテラスに出て、一人で飲んでいた男性のテーブルに同席させてもらい、ビールかチューハイか忘れたけど飲み始めました。
そのうち先に座っていた男性と話し始めたんですが、この人も前夜北穂の小屋で眠れなかったらしい。でもその小屋で彼は素敵な女性と出会ったそうで、その話を熱く語るわけです。「年のころは50くらいかな、きれいな上品な人やった。ここらの汗くさい奴らとはちがう。その人は輝いてた」「その人は今日、どこそこを通ってどこそこへ向かうって言ってた、そしたら明日またおれは会うかもしれん」60前後と見えるその男性は、一瞬の間を置き、そして言いました「そしたら、おれは言うんや…!」何を言うつもりだったのか、まあ素面では言えんようなことを思っていたんでしょう。
 
さらに飲み続けると、その男性はさらに勢いを増し、語ります。近くのテーブルの女性が「槍が」とか言っているのを聞きつけて鼻先でフフンと笑い「なあにが槍だ」。何を言うかと思ったら「おれの槍をくらえってんだよ!」もう爆笑です。とどめは「おれは山が好きや!何十年登っても飽きへん。けどな、違うんや。おれが本当に好きなのは、酒や!女がええんや!酒と女があかんようになったら、山なんか登るかい!」念のために書きますが、あたりに迷惑にならない程度の落ち着いた声音で、本当に面白いのです。つまみに持っていたアーモンド小魚の小袋をすすめると、「みんな考えることは同じようなもんですな」と眼を細めて、茎わかめをすすめてくれました。ぼくはその時はじめて茎わかめを食べて、今も愛好しています。それがつまり大浦さんだったわけです。
次の朝ぼくと友達は岳沢を下り、上高地バスターミナルの食堂でまた大浦さんに会い、いっしょのバスに乗りました。「松本になじみの串カツ屋があるんですが一緒にいかがですか」と誘ってくださるのを残念ながらお断りし、別れました。いつものことですが名前も聞かず、ただK町に住んでおられることは話の中でわかりました。岡山に帰ってからもしばらくの間、ぼくと友だちはK町のおじさんは元気かなと話したりしたものです。

毛無山で会った穏やかな紳士

それから5年以上経って、ぼくはまた別の友だちや嫁さんと毛無山に登っていました。途中でカメラの調子が悪くて困っているぼくたちより少し年配の男性と話をしたりして、しかし何も思わず毛無山から白馬山まで縦走し、そこで先ほどの男性に会い、また少し話をしました。その時、この人には何か憶えがあると思ったのですが思い出せず、その人が先に山を下りたあとしばらくして、気がつきました。「穂高で会った人だ!」その人が下りはじめてだいぶん時間が経っていたし、もう会えないかとも思ったのですが、下山した駐車場で会えました。「失礼ですが、K町にお住いの方ですか」と話しかけると怪訝な表情でうなずいてくれました。それでこれこれこうこうと話すと何とか思い出してくださり、名前や住所、電話番号を交換しました。大浦さんという名前を知ったのはその時です。穂高で会った時の豪放な感じとは違って穏やかな紳士で、ぼくにはどちらの大浦さんも魅力的でした。何より、温かみと懐かしさを感じる人でした。HPもやっているということで後日見ると、穂高で会った日には酔っぱらっていてすっかり忘れていたが、まざまざと思い出したと書いてありました。とても喜んでくださったようで「よくぞ声をかけてくださいました」と結ばれていました。

差出人がいなくなった年賀状

次の正月に、思いがけなく大浦さんから年賀状をいただきました。すっかりうれしくなったぼくはさっそく返事を書き、それから毎年、前の年に登った山と今年の予定を書いて送っていました。たしか3年前の正月にも、いつものように大浦さんから届いた年賀状を見て、またどこかで会えないかなとか思っていました。するとしばらくして、大浦さんの息子さんからハガキが届きました。大浦さんは年末に亡くなったというのです。つまり大浦さんは年末に年賀状を出し、年を越すことなく急死され、お正月ぼくはその年賀状を読んでいたのです。ぼくが懐かしく読んでいた時、年賀状をくれた人がもういなかったことと、ぼくが出した年賀状は大浦さんに読んでもらえないままになってしまったこと、何かとても不思議な感じでした。
ぼくはよっぽどお悔やみの手紙を出そうかと思い、結局そうしませんでした。お線香をあげに行きたいなという気持ちもあるのですが、きっとそうしないでしょう。ただそれからK駅を通るたびに、ぼくは大浦さんのことを思い出します。たった2回しか会ったことがなくて、次に会う予定も計画もなかった人なのですが、この前K駅を通ったときにも、大浦さんにもう一度会いたいと、ぼくは本当に心の底から思ったのです。