山田花子が死なずにいられたら         暇刊!老年 ナカノ日報 ① 2018.5.25

「まつわる」ことについて

こんな紙切れを気にとめてくれる人は、ネットで「共犯新聞」というのを見てほしいと思う。北海道在住の元(?)パンクロッカーで自称闇米屋で町会議員もしているという久保さんという人がやっているサイトなんだけど、音楽漫画文学映画グラビアガールラーメンとありとあらゆることを対象化して語っているんですね。ぼくがこんな紙切れを作りたくなったのも、その語りがうらやましくなったからです。断片的でもオロカでも(久保さんがってわけじゃないよ)感じてしまったら伝えたくなる。その感じてしまったもの≒伝えたいものを、 こういう形でなら前提とかなしに 語 れると 思えた んです。
で、「共犯新聞」の中のページなんだろうけど、そこから入っていくとどうしても見つからないので、別途「共犯リミッターの機能障害」 というのを 検索してみてください。数年前、この文章を読んでしびれたんです。中島梓が死んでしまった、これは中島梓に「ついて」ではなく「まつわる」文章だと書いてあります。それはすなわち、断片であれ偏ったものでも、自分にはどうしてもそのまま書いておきたいことがある、ってことだと僕には読めました。まさに書きたいこと≒書かねばならないこと、だけが書き切ってある。この文章を何度読み返したことか。間違いなく30数年前に僕と同じようなものに触れ、同じようなことを感じてきた人が、今もそこから連続する地平で言葉を発し続けていると思いました 。
なので今回 、最近知った20年近く前に死んだ漫画家に「まつわる」ことを書きたいと思ってるわけです。

山田花子の本を読んでさびしくなった

皆さんがご存知かどうかわかりませんが、僕は山田花子という漫画家がいたことを先日まで知りませんでした。それが図書館に行ったら「自殺直前日記改」という本が目に留まり、借りて帰って読んで、どうにもさびしい気持ちになってしまいました。彼女は才能あふれる漫画家だったけど、どうしようもない孤独と恐怖と屈辱を抱えた人間だった。その彼女が24歳で 投身 自殺したのち、生前に延々と書き続けていた日記兼創作ノートみたいなものをまとめたのがこの本です。
内容についてあれこれ書くことはできないししたくもないので可能ならその本を読んでほしいのですが、どうにもさびしくなってしまう。その後ぼくは何冊かの漫画を読むことができたんですが、彼女はかなり早い時期から自殺にとりつかれていました。主人公 の自殺で終わる漫画を彼女は何回か描いています。
その彼女はしかし、死を恐怖していました。「死んでしまいたい。でも死ぬのは怖い」こんな言葉が何度も日記に出てきます。それはつまり、彼女にとって死がきわめて具体的で身近なものだったからではないかと思えます。「しかし、自殺(肉体の死)すると、きっと来世に「肉体のカルマ」作るに違いない。心の死(発狂)覚悟で耐えていくしかない」と書き、耐えていった彼女は、結局「発狂」して入院し、退院した翌日に飛び降り自殺をしてしまいます。
 

音楽が好きだった山田花子

山田花子は好きな音楽として「死ね死ね団 健康 空手バカボン 有頂天 筋肉少女帯 電気グルーブ ハルメンズ たま ケラ あぶらだこ ニナ・ハーゲン ブルーハーツ 須山公美子 中島みゆき イルカ 蘭妖子 原マスミ あがた森魚 浅川マキ ルイ・アームストロング ビリー・ホリデイ ニーナ・シモン ダミア ガムラン他アフリカや中南米の民族音楽 リズム&ブルース スイング&ニューオルリーンズ・ジャズ」と書いています。僕が知らないものが多いが、知っているものも多い。ジャックスの名前はないけれど、彼女はジャックスのレコードを買っているし、彼女が夢想の中で再生するときの姿である「鈴木ハルヨ」の三冊目の詩集のタイトルが「薔薇卍」であること、漫画のタイトルに「いい娘だね」や「堕天使ロック」があることから見て、ジャックスも好きだったと思える。

山田花子は早川義夫の復活を知る前に死んでしまったわけですが、そのことを知ったら、またそのアルバムを聞いたら何を思っただろうかと考えてしまいます。特にこれも彼女が好きだった大槻ケンジの曲をカバーした「人間のバラード」を聞いていたらどう感じたでしょうか。
彼女は因果とか輪廻転生とかを(少なくとも日記の中では)信じていました。今は虫だけど生まれ変わって人間になりたい「人になったら友だちできる 気さくな友と話もできる」とうたうこの曲を聞いて、これから「気さくな友」ができるかもしれないと思えたのか、いっそ今の記憶を失って虫になって、人間になることに憧れたいと思ったのか、どちらでしょうか。
同様に、彼女はたぶんハイポジを知らずに死んだんだと思いますが、ハイポジか早川義夫かがうたう「僕らはひとり」を聞いたら何を感じたでしょうか。

「ボクタチミンナユメノナカ」と書きつけたときに彼女の頭の中で鳴っていたのは、高田恭子の「みんな夢の中」だったでしょうか、どんとの「夢の中」だったでしょうか。それとも「夢とか希望は子供をだますハメルンの笛」とも書いていた彼女にとって、「ユメノナカ」は地獄のような場所だったのかもしれません。それにしても、「愛」の中に支配欲や依存欲を読み取り、作品の向こうに作者の自己美化と免責を読み取らずにいられなかった山田花子は、自分がいくつもの曲が好きだということの中には、そういったものを読み取らずに済んだのでしょうか。
漫画の登場人物に「音楽とかなに聴くの」「え~とォ…あがた森魚とか~」と語らせた山田花子が死んでしまったことが、ぼくにはとてもさびしく思えるのです。