川島哲郎はどこへ行ったんだろう

しばらく前のことになりますが、新聞に石井隆の死亡記事が載りました。最後にマンガを読んでからずいぶん長く、最後に映画を見てからもずいぶん長いし、最近では思い出すこともほとんどなかったんだけど、その死の記事は胸にこたえました。いつの間にか疎遠になっていた友達がひっそりと死んでいるのに気付いた、そんな感覚でした。

石井隆は「天使のはらわた」で知りました。連載を読んだのではなく、当時の三流劇画(エロげきが、と読むんです)ブームの王者として取り上げる記事を読み、そのメロドラマっぷりを知って単行本を買って読みました。あまりにも暗い形をとるしかない欲望、すべてを失ってしまっていることを気付くやりきれなさ、かつて暴力で犯した女が自分同様の暗い過去を持つことを知って生まれた恋情、当たり前のように雨が降りしきる夜の裏路地でのすれちがうだけの再会、本当に再会し、心を通わせ、引きちぎられ、引き離され、それでも会いたいと思う男と女の、おそらく幻影でしかない最後の出会い。本当に心を奪われ、見境もなく何人もの友達に「読んでみてよ」と手渡し、「なんじゃこの下品なマンガは!」とあきれられたものでした。

いま思い返してみて、このポリコレ全盛の時代にはとうてい許されない物語だなあと思い、しかし考えてみれば、連載されていた四十数年前でも、許されていたわけじゃなかったと思う。そのころ石井隆が、どんなふうにマンガを描いていたかは知りませんが、深夜に暗い電灯の下で黙々と描かれ、薄暗い本屋で買われ、夜中の部屋で読まれる、そんなマンガだったと思います。日陰にしか生まれ育つことができないものはどうしてもあるし、それに惹きつけられ、さがし求めてしまう心も、どうしてもあると思います。

石井隆を知っている人には常識でしょうが、彼のヒロインはいつも「名美」だし、彼の主人公(どうしても「ヒーロー」とは言えない)はいつも「哲郎」でした。ところで、「天使のはらわた」のとき「川島哲郎」だった主人公の名は、その後の作品では「村木哲郎」に変わり、「川島」という男は、必ず「名美」を裏切り、傷付けるものとして登場するようになります。これはぼくにはずいぶん興味ある謎で、いろいろ推測を巡らせたりしましたが特に結論みたいなものは得られませんでした。石井隆研究みたいなものがあるなら、誰かは必ず取り上げたくなるテーマだと思うんですが、まあそれを解明しようという行為は、もしかしたら石井隆に惹きつけられてしまう心からはずいぶん遠いものなのかもしれません。

「哲郎っていたよな、何をしてるのか知らないけど」「哲郎って、村木のこと?」「いや、そうじゃなくて川島哲郎」「ああ、いたな。ずいぶん前だな。何か急に消えちまったな」「ろくでもないことばかりしてたからな、いられなくなったのかもな」「そんなところだろうな。やってたことほど悪い奴じゃなかったけどな」「まわりにいた奴らは大変さ。死んだ奴もいる」「川島みたいなのとしか付き合えない奴もいるんだよ」「川島みたいなのを思い出す奴もいるわけだしな」