沈黙が作る音楽と言葉           暇刊!老年ナカノ日報⑧ 2018.10.30

HONZIというミュージシャン

ぼくがHONZIというバイオリン奏者を知ったのは、1995年に行われた春一番復活ライブのテレビ放送でした。当時は本地陽子という名で、藤原カオルといっしょにリクオの伴奏をしていました。表情を変えることもなく淡々とした演奏でしたが、その曲「ケサラ」の良さもあって、繰り返して見ていました。
次にHONZIを見たのは、1999年に行われた西岡恭蔵&KURO追悼コンサートのやはりテレビ放送です。この時はあがた森魚のバックで、アコーディオンのリクオといっしょに、「港のロキシー」を演奏していました。サングラスを頭にのせて身体を揺らしながらコーラスし、バイオリンをかき鳴らす姿は、以前のまじめな音楽少女風の面影からすっかり変貌していました。いたずらっぽい微笑みが本当に魅力的で、バイオリンの音は空中を駆け回るようでした。
 
それからまた何年かたって、本地陽子がHONZIと名を変え、ソロアルバムを2枚出していることをネットで知り、「TWO」というアルバムを(多分生まれて初めて)アマゾンで購入しました。ノスタルジックで少し不安な響きと言葉に満ちたそのアルバムは、バイオリン奏者というよりミュージシャンの作品と呼びたくなるものでした。
それからまたしばらくたって、たぶん2008年、ネットでHONZIを検索したぼくは、彼女がガンで死んだこと、早川義夫+佐久間正英+HONZIで行ったライブが「I LOVE HONZI」というアルバムになっていることを知りました。ぼくは当時存在を知ったキングビスケットレコードでそれを注文し、たぶんそれが、キンビスで買った初めてのレコードだと思います。

「I LOVE HONZI」

早川義夫は死の前後のHONZIのことを「I LOVE HONZI」「HONZIありがとう」という二つの文章にしています(どちらも「生きがいは愛し合うことだけ」所収)。2002年ごろから早川義夫とHONZIは共演するようになるのですが、HONZIがガンになり、復帰後の2007年1月にまた共演することになり、その日、用意してきた「I LOVE HONZI」(こちらは楽曲)を早川義夫はHONZIに聞いてもらい、演奏します。
「透き通ってる 色っぽいメロディー 偽りのない まっすぐな音」とはじまるこの曲は、早川義夫とは思えないほど素朴な言葉を、これまた彼には珍しく淡々としたメロディーに乗せて奏でられます。「心の奥の悲しみや 言葉にならぬ思いを」と、「揺れてるだけで 惹きこまれてゆく」と、「隠しきれない苦しみや 抑えきれぬ思いを」とうたい、そして「透き通ってく 羽ばたくHONZI 愛がいっぱい HONZIのバイオリン」と結ばれます。
 
アルバム「I LOVE HONZI」の最終曲がこの「I LOVE HONZI」で、この演奏は2007年8月28日に行われています。これが彼女の最後の演奏となり、HONZIは1か月後の9月27日に亡くなります。

語られなかっただろう言葉

このうたをどういう気持ちで作ったのか、何を込めようとしたのか、早川義夫は何も書いていません。ただ、HONZIの病状があまり芳しいものではないこと、どうしても別れの近さを感じずにはいられないことが、この言葉の奥に横たわっていると思えます。照れながら「うん」とうなずいてバイオリンを弾いたというHONZIも、この曲の中に潜む深い予感と恐れに、気付かなかったはずがありません。
 
そして病状が次第に悪化して行く7か月の間にHONZIと早川義夫、佐久間正英は何度かのライブを行います。彼女と彼らが別れのことを語ったのか、また「I LOVE HONZI」という曲を覆う翳のことを語ったのかも、早川義夫は書いていません。本人たちが語っていないことを、ぼくなどが詮索しては申し訳ないと思いながら、いや、やはりこれは、この静かな悲しみに満ちた曲が、聞くものに提示している問いなのだと感じずにはいられません。彼女と彼らは、たぶん眼の前に迫った別れのことは一切語ることなく、しかしその「語らない」こと自体がおのずと何かを語ってしまう、濃密な空間の中にいたのだと思います。
 
曲が終わりを迎え、最後のバイオリンの音が消えていき、それがまるで、消えようとしている生命のゆらめきそのものに聞こえます。言葉などなくても伝わっていくものはあるし、語らないことによってだけ伝わってしまう心の中もある。ぼくたちは何を言ったらいいのかどうしてもわからず、でもどうしても何かを言わずにはいられなくて、そんなときに出てくる言葉は、もしかしたらありきたりで、言わねばならないこととは似ても似つかないものになるかもしれない。でも、その時に伝わっていくものは、まぎれもなく心の中すべてだ、そんなことをぼくは、この曲を聞くうちに感じるようになったのです。