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1989年大河「春日局」vol.11 太陽!ゲスト女優番外編002大原麗子。 豊臣家家臣と石田三成包囲網

✅他の豊臣家家臣と石田三成包囲網
➡︎家康の三大作戦。
豊臣を滅亡するまで追い詰める。


蜂須賀小六(はちすか ころく)
演:久遠利三
◆秀吉の墨俣一夜城を実現出来たのは、
彼のアイデアに拠るところが大きい。
口許りの秀吉一人では、なし得なかった筈。
秀吉の初期の参謀の一人。
彼がいたからこそ、秀吉は信長の信用が増した
とも云える。

高山右近(たかやま うこん)
演:三浦賢二
キリシタン大名。

前田利家(まえだ としいえ)
演:嶺田則夫
◆この利家が亡くなり家康の全国統一野望は
メラメラと燃え上がる。というよりも寧ろ
徳川家には豊臣が邪魔な存在。
まずは茶々(家康は女狐と呼ぶ)を
一番先に滅ぼそうと画策していく。


◆家康はひょっとして、茶々が信長の愛人で
あった事も、とうに見抜いていたか?
セックス好きの女には、
何も戦略は立てられないと。


◆秀頼は、数年後に使い捨てをしても良いと考えていた筈だ。
豊臣秀頼。一人では何も出来ないと高を括っていた筈。
人畜無害な秀頼よりも、
今は
豊臣大事の亡霊に取り憑いている、あの女狐を
今叩かないと徳川の未来はない、と。


◆まずは秀吉亡き後、
家康は次の3回の作戦計画を立てて実行。

豊臣恩顧の忠義を掲げて、
「これからも豊臣家大事」に扇動させる、
非凡な武将石田三成の牙城を家康は崩したいが、
三成は、豊臣恩顧の大名たちを抱き込もうと画策し始める。
この非凡さが鼻持ちならない家康。

◆第一段階。この三成をわざと誘い出し
三成の生真面目さを利用し、
黒田長政を裏では暗躍させ、
眼に見えない徳川の罠へと翻弄し、
結果、関ヶ原に誘い出し、
三成に自ら戦乱を仕掛けさせ、泥沼へ泥沼へと仕向けさせる。
全ての首謀者は三成だとの、徳川に付いてくれた豊臣恩顧の
諸将 皆に信じ込ませる。それがあの有名な小山評定。

◆小山評定では真田親子は間に合わなかった。何故か?

こういうところは、古たぬきの面目躍如。

その家康が考えた罠を掲げ、大義名分の戦を仕掛ける。
それが「上杉討伐」。最近発見された史料がある。

上杉景勝征伐(会津征伐)に向け、
家康が情報を集めていた様子がこの文では窺える。
一般社団法人共同通信社2022/05/25
『越後国主に家康「心得た」書状発見、会津征伐準備か』


北に向かうと見せかけて、三成の出方を見極める。
人望がない三成には、
必死で協力者を集めようと自ら動いて来る筈。
家康が居なくなった三河に攻め込ませる。
(と、思わせる家康の戦略)

私は全然知りませんでした、気づきませんでしたと、
全ては三成と三奉行が、勝手に仕組んだものとさせ、
「何という奴だ、石田三成は!」と、
結果的に石田三成包囲網をつくり、
三成を徐々に自滅方向に追い込む。
全ては家康の狡猾な罠だったのだ。

かつての足利義昭が仕組んだ、
反織田信長連合、織田信長包囲網の如く。

人望もなく、戰の戦略戦術に乏しい三成は、
まんまと、誘われるべくこの家康の罠に
ズルズルとハマっていく。

1.生真面目な性格。

2.目的に一直線に進む性格。他は見えなくなる。

3.大義名分を掲げたら皆は必ず付いてくると
信じて止まない自分を皆は信頼してくれているという、
間違った自画自賛。

これら三成の性格。1.2.3を逆手に取った家康が、
徳川家が生き残る為の壮大な罠。


一方で三成は、
「豊臣家大事」の大義名分が、
徳川の餌に靡いた豊臣恩顧の大名たちにソッポを向かれ、
次第に自分の首を絞めて、更には
家族までをも巻き込み殺され、最終は斬首されていく。

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最後の最後まで、関ヶ原の戦いに敗れ、
捕縛されても東軍諸将の前で、
尚も「豊臣家大事」を家康の前で誓わせる三成の情けなさ。
数日後には斬首されると言うに。

◆そして、第二段階。
関ヶ原に追い出した家康は、
事前に黒田長政を味方に付け、
自分は姿を見せずに、巧みに福島政則を誘い、
春日局の夫にも力になってもらい、
若輩の小早川秀秋に賄賂を渡して、特に福の夫、
稲葉正成には、秀秋を動かすように扇動させた。

関ヶ原の戦いに於いては、

それでも秀秋は同じ賄賂を出した三成と
天秤に掛けていたのだった。しかし最後には
秀秋の寝返りで、戦局は東軍有利に。
関ヶ原の戦いに勝利し、寝返り作戦は大成功。
まずは三成を捕縛→上記のように斬首される。

◆次に第三段階。
豊臣恩顧の大名を動かして、特に女狐には
裏で大坂城にいた片桐且元を抱き込み、
大野治長を餌に、
難攻不落の大坂城に籠城していくように、
一回目のそれとなく見えない罠を仕掛ける。

籠城戦に持ち込み、補給路を断てば徳川方が
有利となる、決して負けはない。その為には、
まずは、この時片桐且元を大坂城から
救い出すのが、見えない目的。そして徳川側に
取り込むこと。野戦得意の家康が成功した籠城戦。


それはまた戦闘前に可愛い孫娘千姫"秀忠の長女"を
救出するための布石であった。
千姫はどこに匿われているのか。
これを片桐且元に聞く為に体よく奪ったのだ。

ために、大蔵卿の局とお初に、江戸まで
お越し願い、体よく言い包める。

これが、仕掛けた二つ目の罠である事に女狐は気付かない。

この二人を江戸で饗応した事が、狂い始めた女狐の子宮では
家康の本心を掴みきれないでいた。

そして、最後の最後に、総仕上げ。
豊臣家大事。秀頼大事。の
女狐の「子宮」でしかモノを考えることしか出来ない
男好きの、セックス好きの茶々。
この女36歳の浅知恵で立てた計画を横から、
その足場を破壊していく。
最早、秀頼が言う事も聞かない、
絶対自滅はあり得ないと嘯く茶々。

秀吉が建てた難攻不落の大坂城は安泰だと高を括る女狐。


しかしながら、家康は、
真田信繁との真田丸攻防戦に勝利し、信繁も討ち取る。
最後には遂に豊臣家を火焔の中で滅亡に追い込んでいく。

燃え上がる大坂城は、遠い京都からもその炎が見えたらしい。

◆しかし、女狐と秀頼は逃亡。自害した事になってはいるが?

◆本当だろうか?秀頼が九州まで逃亡したのではないか?

◆これは、またひのもと蘊蓄話で、書く予定です。

ここは、2000年大河ドラマ「葵 徳川三代」を
ご覧頂いた方が良いと思います。
この第一、第二、第三段階が良く分かります。
良く描写されています。

◆但し近年になり、数年前から、
この関ヶ原の戦いの見直しが始まっています。

これまでは、午前8時に狼煙が上がって、
午後2時には戦闘が終了し、夕方には落武者狩が始まっていた。
とされていましたが、
実は、正午には全て終わっていた、らしい。

◆問題化されたのは、小早川秀秋の裏切りが、
もっと早い段階でスタートしていた、という
最近の研究結果です。

◆また、各布陣が今までとは違った?
◆特に西軍の布陣が。

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これは、2023「どうする家康」でどの様に描かれるのか。
また時代考証は誰がするのか。
小和田先生なら間違いないとは思いますが。

◆またこの裏で画策したのが、死んだ筈の
明智光秀だった?と。名前を変えていた?
南光坊天海として、家康に協力した。
それは何故か?

信長が催した安土饗応時に、光秀の援助で助けられた?から。


片桐且元(かたぎり かつもと)
演:津嘉山正種

大野治長(おおの はるなが)
演:大和田獏 ★

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豊臣家の家臣。大蔵卿局の子。

◆秀頼は、大野治長と淀との不倫で出来た
子供ではないか、と言う説がある。

◆秀吉が、秀頼に当てた手紙の文言に、
そのヒントが隠されていると言う歴史家もいる、
これはかなり納得出来る。

◆自分の子と自分では思い込み、
しかし織田信長の妹お市の子と
自分秀吉の種で出来たこの子は、
自分が終生尊敬する信長の血を
引いている由緒がある畏れ多い子だ、
と認識していたようで。

自分の子に敬称を付けて「御拾い様」と。

茶々と自分に出来た子。
先に出来て、すぐに早世した子が「捨」。
二度目に出来た子が「拾い」。

◆当時は、産まれた赤ん坊を、道端に捨てて、
そして直ぐに拾いあげる習慣があった。
その拾い上げた赤ちゃんは丈夫に育つと云われた。
しかも拾いあげるときは、
ゴミを拾い上げるように塵取りと箒を使って。
現代では考えられないでしょう?

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その拾い上げた子が後の秀頼となる。
でも、秀頼の種は秀吉だったのか?
これは最大の疑問。秀吉と秀頼では体格がまるで違うのだ。

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VOL.9をごらん下さい。

池乃めだかが秀吉。元横綱白鵬が秀頼。雲泥の差です!

秀吉が約150センチ、秀頼は197センチ。


真田幸村(さなだ ゆきむら)
演:高橋悦史 ★

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大坂冬の陣後も浪人衆の筆頭的存在として
徹底抗戦を主張。夏の陣では
家康を後一歩のところまで追い詰めたが、
◆身を休めていた信繁に
◆越前松平家鉄砲組頭の西尾宗次に討ち取られた。

◆本名は真田 信繁(さなだ のぶしげ)。
◆尚「幸村」の名が見られるようになったのは
夏の陣が終わってから
60年近く経った、
寛文12年(1672年)に刊行された軍記物の
『難波戦記』がその初出であるとされる。

だから、大坂の陣当時に、
真田幸村と呼ばせている物語、映像、映画は眉唾ものである。
これは全て嘘っぱち。


塙団右衛門(ばん だんえもん)
演:後藤修

木村重成(きむら しげなり)
演:竹村健

後藤又兵衛(ごとう またべえ)
演:橋本功 ★

豊臣家の家臣。正栄尼の子。
真野蔵人(まの くらんど)
演:古山忠良


◆ 豊臣秀吉の馬廻だった真野蔵人助宗の子。
頼包の通称は豊後守で、
京都右京区にある寺。その『妙心寺寺伝』にある
衡梅院を中興したという、大橋長将の子、助宗の養子という
真野蔵人一綱なる人物は、実在するとしても別人である。
←Wikipedia解説



✅物語に欠かせない重要ポイントを握る女性

下は浅井三姉妹の次女。
お初(おはつ)

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演:松原智恵子(少女期:宮沢りえ)
茶々の長妹。お江与の次姉。高次の正室。

大蔵卿の局(おおくらきょうのつぼね)
演:馬渕晴子

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茶々の乳母。大野治長の母。

演:馬渕晴子は11年後「葵 徳川三代」でも、同役を演じた。

◆茶々と大野治長が裏で不倫している事を
薄々気づいていた? 且元は。

◆上記の二人は、大坂の陣終結を目論み、
家康の策略に利用され、
豊臣家と和睦の儀に担ぎ出され、
まんまと豊臣家が
単なる僅か65万石の一大名に過ぎずと
秀頼に確約させた署名の証人となる。

◆徳川家からは阿茶の局が江戸から召し出され

阿茶の局和田幾子

世にも稀な「女三人のいくさの和議」が
施されたのだ。

◆またその和議文面がいずれ豊臣家の滅亡に
繋がろうとは?その裏で、想いも寄らぬ
上記のような、
片桐且元の救出が画策されていたとは? 
千姫の居場所を聞き出せるのは且元しか居ないと
家康の千里眼が光る。

◆ドラマの画像、映像を見ていても、
その文面の裏で静かにほくそ笑む家康の狡猾な罠は、
「自分の目の玉が黒いうちは、
徳川の子供達に降りかかる豊臣家が燻る火の粉を
未然に防いでおきたい」老婆心だったのだろう。

◆この後に、すぐ「女狐」茶々に
家康は、戦いを挑みます。

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これが、最終段階の布石。
例の方広寺梵鐘の一件。この画策の裏には
死んだと言われていた明智光秀が姿を変えて、
家康に協力していた、のではないかとされる。

方広寺梵鐘の文言に難癖を付けた家康は、
明智光秀が名前を変えて協力したと噂される。
天台宗坊主「南光坊天海」に、
難癖の理由を考えさせたと言う。

「葵 徳川三代」には出て来ますが、

「春日局」には出て来ません。

何故か? 確証がないからです。

しかし、
「2019麒麟がくる」では、最終回。
死んだ筈の光秀が生きていた!
映像化されましたね。やっと。NHKで。

皆様、ご覧になってませんか?
NHKも、ひょっとして「死んではいなかった?」
との期待感と、次に描く大河との関連性に
繋げるべくこんな演出をしたのだろうか?
やはり、小和田哲男先生の時代考証は
面白いです。しかし
小和田先生は反対したのだろうけれども。
この映像化には。どうかな?

ここは、次回、またその次に公開予定。

「ひのもと歴史蘊蓄ばなし」
太陽にほえろ!研究者 筆者姫洲和彰の
【本能寺の変★日付の裏に隠された真相】を
ご覧くださいませ。

饗庭の局(あえばのつぼね)
演:赤座美代子 ★

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茶々の乳母。

正栄尼(しょうえいに)
演:日向明子 ★

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秀頼の乳母。
ロマンポルノの百恵ちゃん、で有名。

次回は最後の手前vol.12その他

4850字

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