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「とほ宿」への長い道 その6

1999年正月の年越し、まずはニセコ「旅物語」へ

1998年の夏、小樽・船見坂を登り切った場所にあったとほ宿「ぽんぽん船」にすっかり魅了され、そこで年越しをしようと決めた。
しかし大晦日までの間はニセコでスキーをやろうと思い、他の宿でも評判を聞いていた「ニセコ旅物語」に宿をとった。いつもはフェリーだが冬はキツいし休みも短いので飛行機だ。大学受験の時以来で千歳空港に降り立ち、雪の札幌市内を散策しジンギスカンを食べ、JRでニセコへ。年末のせいか1両編成なのにやたら混んでいた。
ニセコの駅から、とほ宿「ニセコ旅物語」まで送迎してもらう。この時点ではまだ開業6年目、ペンションのように綺麗な建物。隣に大きめのホテルがあり、巨大な混浴露天風呂で旅の疲れを癒した。
この日は満室。例によって歓談しながら宴会だ。確かチーズフォンデュだったと思うが食事も豪華。男子トイレの中には藤原紀香の等身大ポップが置いてある。遊び心も十分。そして満室にも関わらず細かい気配りが感じられた。
翌日は宿のみんなでニセコのスキー場へ。一週間くらい滞在してもいいと思った。

「ニセコ旅物語」にて

2002年夏に再訪した。この時は連泊して川遊びに興じた。ラフティングをやってるツアー会社まで送迎してもらったのだが、やたら外国人観光客が多かったのを覚えている。今はニセコのパウダースノーを求めて海外から多くの旅行客が訪れているが、この頃から海外とのつながりがあったのだ。昨今の円安でインバウンド需要を狙えという話があちこちで出ているが、ニセコは一夜にしてならず、一朝一夕に人の流れができるわけではない。
この時は自転車で来ていて、翌日は積丹半島まで駆け降りる算段だったのだが、ワゴン車に自転車を載せて峠まで送ってくれた。宿をやっている今でも思う。チェックアウトした後でも気持ちよく送り出すことが大事なのだと。
「ニセコ旅物語」は今でも営業している。今のニセコはインバウンド富裕層が多く訪れ、あらゆるものの値段が暴騰していると聞くが、この宿は値段もそれほど上げずに(夏季は二食付きだと当宿よりも安い)営業を続けている。昨年のとほ宿総会でも会っているが、来月松阪のとほ宿でも会う予定だ。楽しみだ。

「ぽんぽん船」での年越しイベント

ニセコで十二分にスキーを楽しみ、大晦日の夕方小樽の駅まで移動し、「船見坂」を登り、いよいよ「ぽんぽん船」に乗り込んだ。夏に来た以上にむせ返るような旅情と熱気があった。いつ来ても良いのだが北海道はやはり冬が滲みる。
「ぽんぽん船」は基本素泊まりか朝食のみなのだが、この日は夕食提供があった。いくつかのテーブルに分かれて食事。当時、「とほ宿」の宿主有志たちが寄稿したガイドブック「なまら蝦夷」があったのだが、そのイラストを描いている人が向かいにいた。キュートな人で彼氏さんと一緒だった。絵はがきをその場で販売されてたので何枚か買った。素敵な絵柄だ。


手作り感満載の「なまら蝦夷」

また同じテーブルには京都大学出身という欄間職人の人がいた。大学時代に下宿で縁台を出して将棋を打った相手が欄間職人で後継ぎにスカウトされ、そのままエリートコースを歩むと期待をかけていた親には勘当されたという。色んな人生があるものだと思った。

歓談のあとは寸劇、そして音楽と、「紅白歌合戦」などには目もくれず(というかテレビが無い)、宴は延々と続く。

「るるぶ」を揶揄する寸劇をやった

そして年越しの瞬間テンションは最高潮。もう本当に一生忘れられないくらい楽しい時間。


年越しの瞬間。Tシャツ姿の人が宿主の「船長」

そしてみんなで小樽の街に繰り出し、朝の4時くらいまで初詣のハシゴをした。戻ってきたら船長は机の上に突っ伏して寝ていた。年越しそばとして「緑のたぬき」を食べた。冷えた身体に滲みた。

夜通し初詣をハシゴ

翌朝は遅く起きて宿で出たおせち料理をつまみ終日ゴロゴロ、もう1泊して大阪に帰った。夢のような時間だった。

宿のあった船見坂は小樽の象徴

宿は船見坂から小樽運河近くに移転

このように素晴らしい宿だったのだが、木造のかなり古びた建造物だったためなのか常に改築を迫られていたようで、残念ながらこの年越しの少し後に船見坂のぽんぽん船は閉館し、運河の近くに移転した。それまでは船長の奥さんがやっていた「くれよん舎」という、小児科を改築したという建物だった。

2002年、港近くの「ぽんぽん船」にて

自分も2002年に訪れた。船見坂の時のように旅人で溢れるというほどではなかった。場所のせいもあるのだろうが、とほ宿のメイン客層の1つであるライダーたち:1980年代にバイクを知った世代はすでに世帯を持ち、旅に出る時間もお金も無かったことも一因だったのではないかと思う。1990年代の半ばからは格安航空券の浸透と1ドル70円台にまで行った円高で、旅好きな人たちにとっては海外も選択肢になったことで北海道に行く人たちが減りつつあった。この頃にはあちこちで旅人宿の閉館の話が出たし、実際旅人も減っていくのを肌で感じていた。そのとき筆者も32になり会社では役職がつき、好きな時期に1週間もの休みを取るというわけにはいかなくなっていた。時代は移ろう。

その後の「船長」

運河近くの「ぽんぽん船」も2004年に閉館し、船長は奥さんのえり子さんと十勝に移住し、牛舎跡を改築して素敵な家を建てられたという。その時のことは本になっている。

そして自分が宿開業に向けて奔走していた一昨年、船長その前年に亡くなられていたことを「旅の轍」の宿主・のみぞうさんから聞いた。あの、年越しの宝石のような時間のことが脳裏を駆け巡った。その頃は開業準備でいろいろ心の折れそうなことがあったのだが、人生は永遠ではない、やりたいことはその時にやらないとだめなのだとしみじみ思った。
(つづく)

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