能力で人を分けなくなる日~第4章~

アニミズムという言葉が印象に残った。アニミズムとは石ころとか川とかそういうものにも、心がやどっているという考え方だ。世界史とかで習ったことはあるけれど、なんでそうい考え方になるのかが不思議だった。近代は自然と人間を切り離して、人間が自然を管理するという考え方が一般的になってきて、今の世界はそういう考え方に支配されていると思う。僕自身もそうだ。
一方でこういう考え方もできるんだということが一つある。それは自然を人間の延長線上において考えるということだ。今まで、能力がない人間にも価値があるということを書いてきた。そういう見方を自然にあてはめれば、自然を能力がないものとしてみなすことができる。自然は人間の管理に抵抗しない。人間が森を燃やそうとしても自然はなにもできない。そういう点で、自然は能力のない”人間”だとみなすこともできる。
だから、資本主義の中で生産能力のない人間が生きる価値があるように、自然にもそういう価値があるような気もする。ちょっと咀嚼するのに時間がかかりそうな考え方だが、人間の尊厳を守るにはそういう考え方も必要なのかもしれないと思った。
 
最後に価値というものについて。今まで、人間の価値はどうだろうか、障害者の価値はどこにあるだろうかということについて考えてきた。
でも生きることの価値を見出す必要があるのかということをこの本では問いている。
食べて寝て、コミュニケーションをとって、、、
生きることそれ自体に価値があると、考えることは温かくて、大切なんだけど、そこで止まってしまって、そこから発展しないという葛藤を抱えてきた。たとえば、障害者は生きる価値のないという主張をする人に対して、「生きること自体に価値がある」をどれだけ主張しても理解はされないだろう。

生きるということは、価値以前のものであって、ただそこにあるものなんじゃないかなと思うことがある。人に頼るとか頼られるとかそういうのは価値だけれども、それを生み出すための必要条件としての生きることということだ。
僕も何を言ってるかよくわからないけれども、そうやって人のいのちということを問い続けていくことは重要なんじゃないかなあと思いました。
 

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