見出し画像

Three Sacred Treasures① 駅の伝言板

オッ クスフォード英語辞典の「社会 (Society)」の最初の定義には、次のような記述がある。
Association with one's fellow men, esp. in a friendly or intimate manner; companionship or fellowship. 

【翻 訳】ある人の仲間と共にある、とりわけ友好的ないしは親密な流儀での、連合(アソシーエション)のこと。仲間付き合い、親睦的結社。

ただ人が集まるだけでは「社会」という概念は生まれない。
それは単なる「群れ」である。

「群れ」をなした人類が、「対話」(言葉だけでなく記号や動作、音などによる意思伝達を含む)というプロトコルでつながった時、「群れ」は「村」として組織され、やがてそこに「社会」という秩序が誕生した。

狼煙、伝書鳩、手旗信号。

人は「社会」を維持しその一員として暮らしていくための手段として、それぞれの時代や場面に即した「対話術」を工夫し、共有し、使いこなしてきた。

1980年代のニッポン。
アナログが唯一無二のデフォルトだった時代。

そんな時代を「青春」として謳歌した僕たちには、「社会」を生き抜くためのコミュニケーション活動に欠かせない『三種の神器』、があった。

ナウいヤングの僕らが駆使した3つの「対話のインターフェイス」。

ひとつめは『駅の公共伝言板』である。

「今日の授業の代返頼む。」とか、「駅前のフラミンゴにいます。」とか、「今夜、俺はお前んちに泊まってる体で。」とか、ワンウェイではあるけれど、意思伝達の手段としては至って便利なツールだった。

「筆跡」で友達を識別する“鑑識力”は、現代のSNSよりずっと実践的なスキルアップの機会を僕らに与えてくれたし、走り書きのスピード感からは、文章内容だけでは伝えきれない「リアルな情緒」(下心含む)を手にとるように読み取れる“洞察力”の醸成に役立った。

時には、全く知らない人の掲示内容に妄想を巡らせ、勝手にメイクドラマを楽しみながら友達と夜を明かしたりもした。
夜な夜な続けた妄想シナリオの創作活動を通し、僕たちは知らぬ間に、人生の「マネジメントシミュレーション」を学んでいたのではないか? と今では真剣にそう思っている。

余談だけど、当時池袋東口には、貧乏学生とサラリーマン御用達の大衆食堂「大戸屋」があった。そう、あの「大戸屋」の元祖店。

そこでは「MYふりかけ」「MY海苔の佃煮」などをボトルキープすることができたのだけれど、僕らはそこから発想を得て、「自分専用の伝言ボード」を池袋駅でキープしてもらえないものかと思い立ち、池袋駅北口の駅員さんに直談判しに行ったことがある。

「は? 今忙しいからKIOSKの人に話して。」

とか何とか言われて軽くあしらわれたあの日が、
恥ずかしくも懐かしく思い出される。

余談ではあるが、後に漫画「シティーハンター」で冴羽リョウとの連絡手段として新宿駅の伝言板が使われているシーンを目にした時、フィクションとリアルの埋めきれないギャップの存在に目眩を覚えたのを記憶している。
大人になるって、こういうコトの積み重ねなのかもね。 XYZ…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?