生き方てか、死に方

コロナで死を意識する方々が増えて、他人に優しくするという事が見れないなと思う今日この頃。
その中で、リモートワークや仕事であくせくしてた方々も通勤しなくて良い、家族との時間を作れるって中で、生き方、これからの時代、どうやって稼ぐか?など考えている最中だと思うんですよね。

でも、僕は異論を唱えたい。
生き方って、死に方が先に来ると思うんですよね。
死を漠然と皆様考えていますが、死は平等です。
いつか死ぬ。
早くも、遅くも。
このコロナ状況下では1ヶ月で死ぬかもしれない。
バイオテロ状態なんですよね。

んで、思うのが、いつ死ぬかと、死ぬ時どの状態でいたいかってのを思う。
僕は元気な状態で死にたいかなと最近思う。
小学3年生の頃に初めて死を意識した。
「なぜ人は死ぬのか?」今思うと、やばいガキって思うけど、
当時は深刻に考えすぎて不眠症一歩手前だった。

最近思うのが、「死」とは
仕事出来なくなって、自分が必要とされなくなった時が死ぬ時かなと思います。
3年前に当時70歳の父が、冗談ぽい感じではあったが、
「俺は死んでも良い存在」と言っていた。

肉親なんで止めて、否定しましたが、その考えはとてもわかる。
なので、家族として頼ったり、必要としてあげなきゃいけない。
父は、15歳から50年という月日を同じ会社で、バリバリ仕事していて、中国やアメリカにバブル期に行っていた父にとっては、上に立てない、他人から必要とされない状況はとても寂しいんだろうなと思う。

自分の状況に置き換えると、僕は今ギリギリのラインで他人から必要とされたり、施しを受けている。
本当にありがたい。
お金がない事がとても悲しいし、惨めだが、それ以上他人から求められたりがない状況は、本当に死にたくなる思いだ。
この状況まで追い込まれた人って、どのくらいいて、共感してくれるのだろうか?
まぁ共感なんて求めている時点で、意味ないんですけどね。
所詮、他人に他人を理解する事なんて出来ない。
せいぜい最大で寄り添う事が限界で、それが嬉しい。
理解しようとしてくれる姿勢が嬉しいんですよね。

話はいつも通り脱線しましたが、
父の生き方を見て、尊敬はしていますが、
死ぬ時にどうすれば満足出来た状態で僕はなくなれるのか?
って思っています。
台湾に行ったのもそんな感じです。
台湾に誘った友人を恨んだり、憎しんだり、考え甘かったんじゃないか等、色々言われます。
でも、決定の一番の理由は、死ぬ寸前に後悔したくないなって思って決めました。

仕事辞める前、年収が通常の会社の課長くらい頂いて、賞与も80〜100万円貰える会社にいましたが、何か達成感はなかったな。
また、些細な幸せを感じれなくなってきてた。
普通の人が普通に幸せと感じる、そんな幸せの感度が僕にはかけてきていた。

台湾生活の中で、台湾人は優しいって、よく日本人は言ってましたが、僕は別にそう思わない。

優しさは大学生の頃一番感じていた。
阿蘇という、田舎で暮らして、夢のようなキャンパスライフはなく、ただただ不便。
ドラマのような恋愛もなく、朝起きると広大な大地と、阿蘇山の噴火がたまに見れる場所。
でも不便の中に、周りの友人は優しさがあった。
今思うと、支え合わないと生きていけない状況だったから、優しくなれたんだと思う。
下宿のおばちゃんに朝の挨拶をするという、実家に住んでいたら当たり前の行動が大学生になるとなくなる。
学校なんて行かなくても良いという状況にも通常なる。
その当たり前のサイクルにならなくて本当に良かったと思っている。

なので、たぶんですが、台湾に行き、台湾人が優しいという人は余程優しさに触れて来なかったか、優しさの価値観が違うなと思いました。

というか、価値観が違うのが当たり前で、その価値観を認め合うのが、大切なのに、なぜ変にポジティブなのかわからない。
わかりやすい表現を昨今の日本人は求めているが、僕の父はバリバリの九州男子なので、非常に優しさがわかりにくい。
もはやないんじゃねぇか、レベルです。

優しさの表現ってわかりやすさなのかな??
今だとマスク付ける事が優しさ、ソーシャルディスタンスとるのがマナーという風習が見受けられるが、
本質はウィルスを飛散させない事だから、それ以外ある程度大丈夫じゃないかなと思う。
今、ウィルス感染するんじゃないかって他人の優しさを素直に受け入れない状況だと思うんですよね。

例えば、物をとる時に背が届かない人がいれば黙ってとってあげたい。
こういう事もしにくい状況ですが、僕はしたいですね。(感染リスク)

また、電車ではご老人に席譲って、隣の車両に出来れば行きたい。
先にご老人が降りた時に最後のありがとうが気を使わせているみたいで照れ臭い。
〇〇は優しいって言ってる人ほど、優しくないんじゃないかなと思う。
感じる事は良いけど、第三者に言う事か??って思ってしまう。

僕は優しいという言葉より、「ありがとう」「好き」を使いたいな。
〇〇さんのこう言うところが好きだなと。
一纏めにするのではなく、個々を見たい。
まぁ全体で見る時もありますが。

長くなりましたが、
死に方は他人に求められなくなった時と、
僕はやりたい事がなくなって死にたい。
砂漠か、大自然の中で死にたいな。

自分の価値がない肉体が少しでも自然に還り役立てるならと思う。
若く死ぬならドナーとして臓器を提供したい。

人の役に立ちたいな。
人の上よりも、人の役に。
お金もそれについてくれば良いけど。

人生の最後に、感謝を告げられる人でいたいな。
その状況でそれなりに生きたい。
上記がないなら生きる価値すらないと思っている。

今、生き方と言う短いスパンで物事を僕は見てしまっているが、死という長いスパンで見ていきたい。
そして、その為にも今という毎日をもっと必死に生きなければいけないと思う、今日この頃です。

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