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木瓜牛奶とスマイルゼロ円

7月の暑い日の午後のことである。
私は板橋区にある中国語の先生の教室にお邪魔し、中国語と翻訳に関する勉強をしていた。下手くそ極まりない中国語と滅茶苦茶な日本語の翻訳を披露し、責任と擔當(担当)の違いは何かといったことについて議論したりして一時間半の授業を終えた。

先生の教室は昔ながらの台湾の雰囲気溢れる通りにあって、何を隠そう……いや隠すこともないが、私はその通りが好きである。通りのまん中あたりに1つ小さな廟があって(確か媽祖様がお祀りされていた)、そこを中心にお饅頭やさんやら手作り水餃子の店やら、八百屋やら果物屋やら魚屋やらが並んでいる。お饅頭屋の、あんの材料を煮る鍋からは白い蒸気がもうもうと立ち上り、騎樓の下に小さな雲を作っている。どこかで爆米花(爆弾あられ)を作っているのか、子供の頃に市民祭りなどでよく聞いた、お米が爆ぜる音が聞こえてきたりもする。お昼時には近隣の人がこの通りにあるお店にお弁当を買いに来るため、お弁当用の料理を作るお店からはいい匂いが漂ってきたりして、まぁとにかく、台湾の生活感というか日常風景を肌で感じられる通りなのだ。二軒あるお饅頭屋さんはもともとは一軒だったのが暖簾分けして、新しくできたお店がもとの店の斜向かいに新しいお店を開いた、だとか、通りにまつわるちょっとギョッとするような話を先生が聞かせてくれることもある。台湾のマーケティングの方法については、いろいろ考えさせられることが多い。

さて、今日はそんなお饅頭屋さんのうちの一軒で肉まんふたつと胡麻餡まんひとつ、タロイモチーズまんをひとつ購入した。饅頭一つあたりが大体20元〜25元と、日本ではちょっと考えられない安さである。しかもでかくて重い。饅頭が4つ入ったビニール袋は、中にあんがぎっしりと詰まっているのがよくわかる重量感だった。バラで購入というちょっと面倒くさい顧客にも、饅頭屋のお店のおばさんはニコニコと対応してくれた。こちらも笑顔でお礼を言って、お店の前を離れる。

そんな台湾風味溢れる通りで買い物をしたのに加え、午後の燦々と降り注ぐ南国らしい日差しの暑さも手伝って、今日は珍しく飲み物も台湾っぽいものをチョイスしよう、とふと思い立った。台湾らしい飲み物といえば……そう、その場でフルーツをカットして作ってもらうフレッシュフルーツジュースである(申し訳ないが私はタピオカミルクティーにはあまり食指が動かない)。近くに一軒、フレッシュジュースを販売しているドリンクスタンドがあるのを知っていたので、私はいそいそとドリンクスタンドの方へと向かった。ずっしりと重たい饅頭の袋が、私が歩くのに合わせて、ガサガサと音を立てた。どことなくウキウキしたそのガサガサ音と歩調を合わせてドリンクスタンド(というか、屋台といったほうが表現としては適切である)の前で足を止めた、と。

「今闆娘は外してるよ」

ドリンクスタンドの奥にある小さな食堂から男性が出てきて、私に声をかけた。

「多分5分くらいで戻ってくるから、ちょっと待ってて」

それから「あ、今日は暑いから、良かったら中で待ってなよ」と続けた。この奥の店はドリンクスタンドのイートインスペースだったのか、と思い、男性に誘われるままに、私は店のドアを潜った。そして、もう一度何を頼もうか考えようと、壁にかかっているメニューを見ると……そこには「鍋燒意麵(80元)」と書いてあった。メニューに書いてあるのは炒麵とか炒飯とかご飯物ばっかりで、生絞りフルーツジュースの生の字もない。しまった! と思って男性を見ると、男性は何を思ったのか、ニコニコと笑いながら「今日は暑くてやんなっちゃうよね」と話しかけてきた。

「人間ってさぁ、不思議だよね。夏暑いと早く冬が来ればいいのにって思うのに、冬寒いと、早く夏になれ、って思うの」

「まぁ最近は冬も暖冬だからそんなに寒くはないけどさ」

完全なる世間話であった。男性と話しているうちに、その人が純粋に、私が涼しい状況でドリンクスタンドの老闆娘を待つことができるようにと食堂の椅子を提供してくれたことが分かってきた。申し訳ない気持ちとホッとしたような気持ちがない混ぜになりながらも、そうですね、と私は相槌を打った。残念ながら私は台湾に移住してまだ2度しか冬を過ごしておらず、早く夏が来ればいいと思うほどの寒い冬を経験したことはないのだが。

「でも今日は風があるからまだいい方ですよ」

「でも風も熱風だしさ。俺は耐えられないなぁ」

男性とは、そんな他愛もない話をした。印象的だったのは、男性がそんなふうに夏の暑さに対して恨み言を言いながらも、どこか楽しそうな表情をしていたことだった。恨み言をいうその口調の中にも、どこかしら愛着を感じるような。それはなんだかちょっとだけ、台湾のことを鬼島とか言いながらも、この地に変わらず住み続けて日々の生活を営んでいる台湾人の姿そのものを見ているようでもあった。

私と男性がそんなふうにして世間話をしている間に、いつの間にやらドリンクスタンドの老闆娘が戻ってきていた。「木瓜牛奶(パパイヤミルク)」とお願いすると、ササッと作ってくれる。小さくて可愛らしい老闆娘だった。飲み物を受け取りながらお代を渡すと、老闆娘はニコッと笑ってくれた。ありがとう! と私は言った。それから、ドリンクスタンドの老闆娘が戻ってくる前に食堂の座席を提供して涼ませてくれた男性(多分食堂の老闆)にもお礼を言った。男性はやっぱり笑顔で「哪裡(べつに、なんてことないよ!)」と言ってくれた。

これからどんどん熱くなるので鍋燒意麵を食べようとはなかなか思わないのだけれど、もうちょっと涼しくなったら、今度は男性の店に鍋燒意麵を食べに来ようと思う。

台湾在住者による台湾についての雑記と、各ウェブサイトに寄稿した台湾に関する記事を扱っています。雑記については台北のカフェが多くなる予定。 そのうち台北のカフェマップでも作りたいと思っています。